ための握手だったのか、わけがわからないけれども、あの時には、とてもじっとしては居られず握手でもしなければ、おさまらぬ気持だったものね。君も僕も、ずいぶん興奮していた。「オルレアンの少女」が済んだ時、君は、
「じゃあ、失礼しよう。」と奇怪な嗄《しわが》れた声で言い、僕も首肯いて、君を送って廊下へ出て、
「たしかだ!」と二人、同時に叫んだ。

     5

 ここまでの事は、君もご存じの筈だが、さて、君とわかれて、ひとりで部屋へ引返した時には、僕の気持は興奮を通り越して、ほとんど蒼《あお》ざめるほどの恐怖の状態であった。わざと越後を見ないようにして、僕はベッドに仰向けに寝ころがったが、不安と恐怖と焦躁とが奇妙にいりまじった落ちつかない気持で、どうにも、かなわなくなって、とうとう小さい声で、
「花宵先生!」と呼びかけてしまった。
 返辞が無い。僕は、思い切って、ぐいと花宵先生のほうに顔をねじ向けた。越後は黙々として屈伸鍛錬をはじめている。僕も、あわてて運動にとりかかった。脚を大の字にひらき、両方の手の指を、小指から順に中へ折り込みながら、
「あの歌を誰《だれ》が作ったか、なんにも知らずに歌
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