》に、ひとりの自由思想家があって、時の政権に反対して憤然、山奥へ隠れた。時われに利あらずというわけだ。そうして彼は、それを自身の敗北だとは気がつかなかった。彼には一ふりの名刀がある。時来《とききた》らば、この名刀でもって政敵を刺さん、とかなりの自信さえ持って山に隠れていた。十年経《た》って、世の中が変った。時来れりと山から降りて、人々に彼の自由思想を説いたが、それはもう陳腐な便乗思想だけのものでしか無かった。彼は最後に名刀を抜いて民衆に自身の意気を示さんとした。かなしい哉《かな》、すでに錆《さ》びていたという話がある。十年一日の如《ごと》き、不変の政治思想などは迷夢に過ぎないという意味だ。日本の明治以来の自由思想も、はじめは幕府に反抗し、それから藩閥を糾弾し、次に官僚を攻撃している。君子は豹変《ひょうへん》するという孔子《こうし》の言葉も、こんなところを言っているのではないかと思う。支那に於いて、君子というのは、日本に於ける酒も煙草《たばこ》もやらぬ堅人《かたじん》などを指さしていうのと違って、六芸《りくげい》に通じた天才を意味しているらしい。天才的な手腕家といってもいいだろう。これが
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