れにこの句をそのまま、かっぽれの作品として事務所に提出されては、この「桜の間」の名誉にもかかわると思ったので、僕は、勇気を出して、はっきり言ってやった。

     3

「でも、これとよく似た句が昔の人の句にもあるんです。盗んだわけじゃないでしょうけど、誤解されるといけませんから、これは、他のと取りかえたほうがいいと思うんです。」
「似たような句があるんですか。」
 かっぽれは眼を丸くして僕を見つめた。その眼は、溜息《ためいき》が出るくらいに美しく澄んでいた。盗んで、自分で気がつかぬ、という奇妙な心理も、俳句の天狗《てんぐ》たちには、あり得る事かも知れないと僕は考え直した。実に無邪気な罪人である。まさに思い邪無しである。
「そいつは、つまらねえ事になった。俳句には、時々こんな事があるんで、こまるのです。何せ、たった十七文字ですからね。似た句が出来るわけですよ。」どうも、かっぽれは、常習犯らしい。「ええと、それではこれを消して、」と耳にはさんであった鉛筆で、あっさり、露の世の句の上に棒を引き、「かわりに、こんなのはどうでしょう。」と、僕のベッドの枕元《まくらもと》の小机で何やら素早くしたためて僕に見せた。
  コスモスや影おどるなり乾《ほし》むしろ
「けっこうです。」僕は、ほっとして言った。下手でも何でも、盗んだ句でさえなければ今は安心の気持だった。「ついでに、コスモスの、と直したらどうでしょう。」と安心のあまり、よけいの事まで言ってしまった。
「コスモスの影おどるなり乾むしろ、ですかね。なるほど、情景がはっきりして来ますね。偉いねえ。」と言って僕の背中をぽんと叩《たた》いた。「隅《すみ》に置けねえや。」
 僕は赤面した。
「おだてちゃいけません。」落ちつかない気持になった。「コスモスや、のほうがいいのかも知れませんよ。僕には俳句の事は、全くわからないんです。ただ、コスモスの、としたほうが、僕たちには、わかり易《やす》くていいような気がしたものですから。」
 そんなもの、どっちだっていいじゃないか、と内心の声は叫んでもいた。
 けれども、かっぽれは、どうやら僕を尊敬したようである。これからも俳句の相談に乗ってくれと、まんざらお世辞だけでもないらしく真顔で頼んで、そうして意気揚々と、れいの爪先《つまさ》き立ってお尻《しり》を軽く振って歩く、あの、音楽的な、ちょんちょん歩きをして自分のベッドに引き上げて行き、僕はそれを見送り、どうにも、かなわない気持であった。俳句の相談役など、じっさい、文句入りの都々逸《どどいつ》以上に困ると思った。どうにも落ちつかず、閉口の気持で、僕は、
「とんでもない事になりました。」と思わず越後に向って愚痴を言った。さすがの新しい男も、かっぽれの俳句には、まいったのである。
 越後獅子は黙って重く首肯した。
 けれども話は、これだけじゃないんだ。さらに驚くべき事実が現出した。
 けさの八時の摩擦の時には、マア坊が、かっぽれの番に当っていて、そうして、かっぽれが彼女に小声で言っているのを聞いてびっくりした。
「マア坊の、あの、コスモスの句、な、あれは悪くねえけど、でも、気をつけろ。コスモスや、てのはまずいぜ、コスモスの、だ。」
 おどろいた。あれは、マア坊の句なのだ。

     4

 そういえば、あの句にはちょっと女の感覚らしいものがあった。とすると、あの、乱れ咲く乙女心の野菊かな、とかいう変な句も、くさい。やっぱりあれも、マア坊か誰か助手さんの作った句なのではあるまいか。何だか、あの十の俳句がことごとくあやしくなって来た。実に、ひどいひとだ。本当に、あきれるばかりだ。あの露の世の句にしても、また、このコスモスの句にしても、これは「桜の間」の名誉にかかわる、などと大袈裟《おおげさ》な事は言わずとも、かっぽれさんの人格問題として、これは、いったい、どんな事になるのだろうと、はらはらしたが、でも、それからまた、かっぽれとマア坊との間に交された会話を聞いて安心し、たいへんいい気持になったのだ。
「コスモスの句って、どんなの? わすれてしまったわ。」マア坊は、のんびりしている。
「そうかい。それじゃ、おれの句だったかな?」あっさりしている。
「カクランの句じゃない? あなたはいつか、カクランと俳句の交換だか何だか、こっそりやってたわね。わあい、だ。」
「してみると、カクランの句かな?」落ちついたものである。淡泊と言おうか、軽快と言おうか、形容の言葉に窮するくらいだ。「カクランの句にしては、うますぎるよ。きゃつ、盗みやがったな。」すでにここに到《いた》っては、天衣無縫とでもいうより他は無い。「こんど、おれは、あの句を出すんだ。」
「慰安放送? あたしの句も一緒に出してよ。ほら、いつか、あなたに教えてあげたでしょう?
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