ところの選手である。切に自重を望む、と言いましたがね。おれはあの時、涙が出たね。男子、義を見てせざれば勇なきなり、というわけのものだ。勇に大勇あり小勇あり、ともいうべきわけのところだ。だから、人間、智仁勇、この三つが大事というわけになるんだ。女にもてるなんて、問題になるわけのものじゃ決してないんだ。」ほとんど支離滅裂である。それでも、かっぽれは顔を青くしてさらに声を張り上げ、「だから、それだから、衛生が大事だというわけの事に自然になって行くんだ。常に衛生、火の用心というのは、だから、そこのところを言ってると思うんだ。いやしくも一個の人間を豚のしっぽと較《くら》べられるわけのものじゃ絶対に無いんだ。」
「やめろ、やめろ。」と越後獅子《えちごじし》が仲裁にはいった。越後獅子は、それまでベッドの上に黙って寝ころんでいたのだが、その時むっくり起きてベッドから降り、かっぽれのうしろから肩を叩いて、やめろやめろ、とちょっと威厳のある口調で言ったのである。
 かっぽれは、くるりと越後獅子のほうに向き直って、越後獅子に抱きついた。そうして越後獅子の懐《ふところ》に顔を押し込むようにして、うわっ、うわっ、と声を一つずつ区切って泣出した。廊下には、他《ほか》の部屋の塾生たちが、五、六人まごついて、こちらの様子をうかがっている。
「見ては、いけない。」と越後獅子は、その廊下の塾生たちに向って呶鳴《どな》った。そこまでは立派であったが、それから少しまずかった。「喧嘩ではないぞ! 単なる、単なる、ううむ、単なる、単なる、ううむ」と唸《うな》って、とほうに暮れたように、僕のほうをちらと見た。
「お芝居。」と僕は小声で言った。
「単なる、」と越後は元気を恢復《かいふく》して、「芝居の作用だ。」と叫んだ。
 芝居の作用とは、どういう意味か解しかねるが、僕のような若輩から教えられた事をそのまま言うのは、沽券《こけん》にかかわると思って、とっさのうちに芝居の作用という珍奇な言葉を案出して叫んだのではないかと思われる。おとなというものは、いつも、こんな具合いに無理をして生きているのかも知れない。
 かっぽれは、それこそ親獅子のふところにかき抱かれている児獅子《こじし》というような形で、顔を振り振り泣きじゃくり、はっきり聞きとれぬような、ろれつの廻《まわ》らぬ口調で、くどくどと訴えはじめた。

     
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