安静の時間だ。この時刻には、僕たちの体温が一ばん上昇していて、からだが、だるくて、気分がいらいらして、けわしくなり、どうにも苦しいので、まあ諸君の気のむくように勝手な事をして過してい給《たま》え、という意味で自由の三十分間を与えられているような具合いのものらしいが、でも、塾生の大部分は、この時間には、ただ静かにベッドに横臥《おうが》している。ついでながら、この道場では、夜の睡眠の時以外は、ベッドに掛蒲団《かけぶとん》を用いる事を絶対に許さない。昼は、毛布も何も一切掛けずに、ただ寝巻を着たままでベッドの上にごろ寝をしているのだが、慣れると清潔な感じがして来て、かえって気持がいい。午後八時半の報告というのは、その日その日の世界情勢に就いての報道だ。やっぱり廊下の拡声機から、当直の事務員のおそろしく緊張した口調のニュウスが、いろいろと報告せられるのだ。この道場では、本を読む事はもちろん、新聞を読む事さえ禁ぜられている。耽読《たんどく》は、からだに悪い事かも知れない。まあ、ここにいる間だけでも、うるさい思念の洪水《こうずい》からのがれて、ただ新しい船出という一事をのみ確信して素朴《そぼく》に生きて遊んでいるのも、わるくないと思っている。
 ただ、君への手紙を書く時間が少くて、これには弱っている。たいてい食事後に、いそいで便箋《びんせん》を出して書いているが、書きたい事はたくさんあるのだし、この手紙も二日がかりで書いたのだ。でも、だんだん道場の生活に慣れるに随《したが》って、短い時間を利用する事も上手になって来るだろう。僕はもう何事につけても、ひどく楽天|居士《こじ》になっているようでもある。心配の種なんか、一つも無い。みんな忘れてしまった。ついでに、もうひとつ御紹介すると、僕のこの当道場に於《お》ける綽名は、「ひばり」というのだ。実に、つまらない名前だ。小柴利助《こしばりすけ》という僕の姓名が、小雲雀《こひばり》という具合いにも聞えるので、そんな綽名をもらう事になったものらしい。あまり名誉な事ではない。はじめは、どうにもいやらしく、てれくさくて、かなわなかったが、でもこのごろの僕は、何事に対しても寛大になっているので、ひばりと人に呼ばれても気軽に返事を与える事にしているのだ。わかったかい? 僕はもう昔の小柴じゃないんだよ。いまはもう、この健康道場に於ける一羽の雲雀なんだ。ピ
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