知っているんだ。僕もあの人の詩のファンだった。君だって、名前くらいは知っているだろう。」
「そりゃ、知っている。」
 僕は、どうも詩というものは苦手だけれども、それでも、大月花宵の姫百合《ひめゆり》の詩や、鴎《かもめ》の詩は、いまでも暗誦《あんしょう》できるくらいによく知っている。その詩の作者と僕は、この数箇月ベッドを並べて寝ていたとは、にわかに信じられぬ事であった。僕には詩というものがちっともわからぬけれども、君も御存じのとおり、天才の詩人というものを尊敬する事に於《お》いては、敢《あ》えて人後に落ちないつもりだ。
「あのひとが、ねえ。」しばらくは、感無量であった。
「いや、はっきりした事はわからんよ。」と君は少しうろたえて、「さっき、ちらと見ただけなんだから。」
 とにかくそれでは、もっと、こまかに観察してみようという事になり、そろそろ日曜慰安放送の時間もせまって来ていたし、僕たちは階下の「桜の間」に帰った。越後は寝ていた。僕には、あの時ほど越後が立派に見えた事は無い。それこそ、まさに、眠れる獅子のように見えた。僕たちは顔を見合せ、ひそかに首肯《うなず》き、二人一緒に思わず深い溜息をついたっけね。緊張のあまり、僕たちは、話も何もろくに出来ず、窓を背にして立ったまま、ただ黙ってレコオドの放送を聞いていたっけ。番組が進んで、いよいよその日の呼び物の助手さんたちの二部合唱「オルレアンの少女」がはじまった時、君は右肘《みぎひじ》で僕の横腹を強く突いて、
「この歌は、花宵先生が作ったんだ。」とひどく興奮の態《てい》で囁《ささや》いてくれたが、そう言われて僕も思い出した。僕が子供の頃《ころ》に、この歌は、花宵先生の傑作として、少年雑誌に挿画《さしえ》入りで紹介せられたりなどして、大はやりのものであった。僕たちは、ひそかに越後の表情を注視した。越後はそれまでベッドの上に仰向けに寝て、軽く眼を閉じていたのだが、「オルレアンの少女」の合唱がはじまったら眼をひらいて、こころもち枕から頭をもたげるようにして耳を澄まし、やがてまたぐったりとなって眼をつぶって、ああ、眼をつぶったまま、とても悲しそうに幽《かす》かに笑った。君は、右手でこぶしを作って空間を打つような、妙な仕草をして、それから僕に握手を求めた。僕たちは、ちっとも笑わずに、固く握手を交したっけね。いま思うと、あれはいったい何の
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