美しいと思った。踊って、すらと形のきまる度毎に、観客たちの間から、ああ、という嘆声が起り、四、五人の溜息《ためいき》さえ聞えた。美しいと思ったのは私だけでは無かったのである。
 私は、その女の子の名前を知りたいと思った。まさか、人に聞くわけにいかない。私は十二の子供であるから、そんな、芸者などには全然、関心の無いふりをしていなければ、ならぬのである。私は、こっそり帳場へ行って、このたびの祝宴の出費について、一切を記して在る筈《はず》の帳簿をしらべた。帳場の叔父さんの真面目くさった文字で、歌舞の部、誰、誰、と五人の芸者の名前が書き並べられて、謝礼いくら、いくらと、にこりともせず計算されていた。私は五人の名前を見て、一ばんおしまいから数えて二人めの、浪、というのが、それだと思った。それにちがいないと思った。少年特有の、不思議な直感で、私は、その女の子の名前を、浪、と定めてしまって、落ちついた。
 いまに大きくなったら、あの芸者を買ってやると、頑固な覚悟きめてしまった。二年、三年、私は、浪を忘れることが無かった。五年、六年、私は、もはや高等学校の生徒である。すでにもう大人になった気持である。芸者買いしたって、学校から罰せられることもなかったし、私は、今こそと思った。高等学校の所在するその城下まちから、浪のいる筈のAという小都会までは、汽車で一時間くらいで行ける。私は出掛けることにした。
 二日つづきの休みのときに出掛けた。私は、高等学校の制服、制帽のままだった。謂《い》わば、弊衣破帽《へいいはぼう》である。けれども私は、それを恥じなかった。自分で、ひそかに、「貫一さん」みたいだと思っていた。幾春秋、忘れず胸にひめていた典雅な少女と、いまこそ晴れて逢いに行くのに、最もふさわしいロマンチックな姿であると思っていた。私は上衣のボタンをわざと一つ※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》り取った。恋に窶《やつ》れて、少し荒《すさ》んだ陰影を、おのが姿に与えたかった。
 Aという、その海のある小都会に到着したのは、ひるすこしまえで、私はそのまま行き当りばったり、駅の近くの大きい割烹《かっぽう》店へ、どんどんはいってしまった。私にも、その頃はまだ、自意識だのなんだの、そんなけがらわしいものは持ち合せ無く、思うことそのまま行い得る美しい勇気があったのである。後で知ったのだが
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