れから女のひとが、夫の部屋の六畳間にはいり、腐りかけているような畳、破れほうだいの障子、落ちかけている壁、紙がはがれて中の骨が露出している襖《ふすま》、片隅に机と本箱、それもからっぽの本箱、そのような荒涼たる部屋の風景に接して、お二人とも息を呑んだような様子でした。
破れて綿のはみ出ている座蒲団《ざぶとん》を私はお二人にすすめて、
「畳が汚うございますから、どうぞ、こんなものでも、おあてになって」
と言い、それから改めてお二人に御挨拶を申しました。
「はじめてお目にかかります。主人がこれまで、たいへんなご迷惑ばかりおかけしてまいりましたようで、また、今夜は何をどう致しました事やら、あのようなおそろしい真似などして、おわびの申し上げ様もございませぬ。何せ、あのような、変った気象の人なので」
と言いかけて、言葉がつまり、落涙しました。
「奥さん。まことに失礼ですが、いくつにおなりで?」
と男のひとは、破れた座蒲団に悪びれず大あぐらをかいて、肘《ひじ》をその膝の上に立て、こぶしで顎《あご》を支え、上半身を乗り出すようにして私に尋ねます。
「あの、私でございますか?」
「ええ。たしか旦那は三十、でしたね?」
「はあ、私は、あの、……四つ下です」
「すると、二十、六、いやこれはひどい。まだ、そんなですか? いや、その筈《はず》だ。旦那が三十ならば、そりゃその筈だけど、おどろいたな」
「私も、さきほどから」と女のひとは、男のひとの脊中の蔭から顔を出すようにして、「感心しておりました。こんな立派な奥さんがあるのに、どうして大谷さんは、あんなに、ねえ」
「病気だ。病気なんだよ。以前はあれほどでもなかったんだが、だんだん悪くなりやがった」
と言って大きい溜息《ためいき》をつき、
「実は、奥さん」とあらたまった口調になり、「私ども夫婦は、中野駅の近くに小さい料理屋を経営していまして、私もこれも上州の生れで、私はこれでも堅気のあきんどだったのでございますが、道楽気が強い、というのでございましょうか、田舎のお百姓を相手のケチな商売にもいや気がさして、かれこれ二十年前、この女房を連れて東京へ出て来まして、浅草の、或る料理屋に夫婦ともに住込みの奉公をはじめまして、まあ人並に浮き沈みの苦労をして、すこし蓄えも出来ましたので、いまのあの中野の駅ちかくに、昭和十一年でしたか、六畳一間に狭い
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