》の結び目のところあたりへ片手をやった。
「これ、あるか。」私は左手で飲む真似《まね》をして見せた。
「極上がございます。いや、そうでもねえか。」
「コップで三つ。」と私は言った。
 小串の皿が三枚、私たちの前に並べられた。私たちは、まんなかの皿はそのままにして、両端の皿にそれぞれ箸《はし》をつけた。やがてなみなみと酒が充たされたコップも三つ、並べられた。
 私は端のコップをとって、ぐいと飲み、
「すけてやろうね。」
 と、シズエ子ちゃんにだけ聞えるくらいの小さい声で言って、母のコップをとって、ぐいと飲み、ふところから先刻買った南京豆の袋を三つ取り出し、
「今夜は、僕はこれから少し飲むからね、豆でもかじりながら附き合ってくれ。」と、やはり小声で言った。
 シズエ子ちゃんは首肯《うなず》き、それっきり私たちは一言も、何も、言わなかった。
 私は黙々として四はい五はいと飲みつづけているうちに、屋台の奥の紳士が、うなぎ屋の主人を相手に、やたらと騒ぎはじめた。実につまらない、不思議なくらいに下手くそな、まるっきりセンスの無い冗談を言い、そうしてご本人が最も面白そうに笑い、主人もお附き合いに笑い、「トカナントカイッチャテネ、ソレデスカラネエ、ポオットシチャテネエ、リンゴ可愛イヤ、気持ガワカルトヤッチャテネエ、ワハハハ、アイツ頭ガイイカラネエ、東京駅ハオレノ家ダト言ッチャテネエ、マイッチャテネエ、オレノ妾宅《しょうたく》ハ丸ビルダト言ッタラ、コンドハ向ウガマイッチャテネエ、……」という工合《ぐあ》いの何一つ面白くも、可笑《おか》しくもない冗談がいつまでも、ペラペラと続き、私は日本の酔客のユウモア感覚の欠如に、いまさらながらうんざりして、どんなにその紳士と主人が笑い合っても、こちらは、にこりともせず酒を飲み、屋台の傍をとおる師走ちかい人の流れを、ぼんやり見ているばかりなのである。
 紳士は、ふいと私の視線をたどって、そうして、私と同様にしばらく屋台の外の人の流れを眺《なが》め、だしぬけに大声で、
「ハロー、メリイ、クリスマアス。」
 と叫んだ。アメリカの兵士が歩いているのだ。
 何というわけもなく、私は紳士のその諧《かい》ぎゃくにだけは噴《ふ》き出した。
 呼びかけられた兵士は、とんでもないというような顔をして首を振り、大股《おおまた》で歩み去る。
「この、うなぎも食べちゃおうか。」
 私はまんなかに取り残されてあるうなぎの皿に箸をつける。
「ええ。」
「半分ずつ。」
 東京は相変らず。以前と少しも変らない。



底本:「太宰治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:石川友子
2000年4月19日公開
2005年11月5日修正
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