ら、とにかく冬の、しかも大寒《だいかん》の頃の筈である。どうしても大寒の頃でなければならぬわけがあるのだが、しかし、そのわけは、あとで言う事にして、何の宴会であったか、四五十人の宴会が弘前の或る料亭でひらかれ、私が文字どおりその末席に寒さにふるえながら坐っていた事から、この話をはじめたほうがよさそうである。
 あれは何の宴会であったろう。何か文芸に関係のある宴会だったような気もする。弘前の新聞記者たち、それから町の演劇研究会みたいなもののメンバー、それから高等学校の先生、生徒など、いろいろな人たちで、かなり多人数の宴会であった。高等学校の生徒でそこに出席していたのは、ほとんど上級生ばかりで、一年生は、私ひとりであったような気がする。とにかく、私は末席であった。絣《かすり》の着物に袴《はかま》をはいて、小さくなって坐っていた。芸者が私の前に来て坐って、
「お酒は? 飲めないの?」
「だめなんだ。」
 当時、私はまだ日本酒が飲めなかった。あのにおいが厭《いや》でたまらなかった。ビイルも飲めなかった。にがくて、とても、いけなかった。ポートワインとか、白酒とか、甘味のある酒でなければ飲めなかった。
「あなたは、義太夫《ぎだゆう》をおすきなの?」
「どうして?」
「去年の暮に、あなたは小土佐《ことさ》を聞きにいらしてたわね。」
「そう。」
「あの時、あたしはあなたの傍にいたのよ。あなたは稽古本《けいこぼん》なんか出して、何だか印をつけたりして、きざだったわね。お稽古も、やってるの?」
「やっている。」
「感心ね。お師匠さんは誰?」
「咲栄太夫《さきえだゆう》さん。」
「そう。いいお師匠さんについたわね。あのかたは、この弘前では一ばん上手《じょうず》よ。それにおとなしくて、いいひとだわ。」
「そう。いいひとだ。」
「あんなひと、すき?」
「師匠だもの。」
「師匠だからどうなの?」
「そんな、すきだのきらいだのって、あのひとに失敬だ。あのひとは本当にまじめなひとなんだ。すきだのきらいだの。そんな、馬鹿な。」
「おや、そうですか。いやに固苦しいのね。あなたはこれまで芸者遊びをした事なんかあるの?」
「これからやろうと思っている。」
「そんなら、あたしを呼んでね、あたしの名はね、おしのというのよ。忘れないようにね。」
 昔のくだらない花柳《かりゅう》小説なんていうものに、よくこんな場面があって、そうして、それが「妙な縁」という事になり、そこから恋愛がはじまるという陳腐《ちんぷ》な趣向が少くなかったようであるが、しかし、私のこの体験談に於いては、何の恋愛もはじまらなかった。したがってこれはちっとも私のおのろけというわけのものではないから、読者も警戒御無用にしていただきたい。
 宴会が終って私は料亭から出た。粉雪が降っている。ひどく寒い。
「待ってよ。」
 芸者は酔っている。お高祖頭巾《こそずきん》をかぶっている。私は立ちどまって待った。
 そうして私は、或る小さい料亭に案内せられた。女は、そこの抱《かか》え芸者とでもいうようなものであったらしい。奥の部屋に通されて、私は炬燵《こたつ》にあたった。
 女はお酒や料理を自分で部屋に運んで来て、それからその家の朋輩《ほうばい》らしい芸者を二人呼んだ。みな紋附を着ていた。なぜ紋附を着ていたのか私にはわからなかったが、とにかく、その酔っているお篠《しの》という芸者も、その朋輩の芸者も、みな紋の附いた裾《すそ》の長い着物を着ていた。
 お篠は、二人の朋輩を前にして、宣言した。
「あたしは、こんどは、このひとを好きになる事にしましたから、そのつもりでいて下さい。」
 二人の朋輩は、イヤな顔をした。そうして、二人で顔を見合せ、何か眼で語り、それから二人のうちの若いほうの芸者が膝を少しすすめて、
「ねえさん、それは本気?」と怒っているような口調で問うた。
「ああ、本気だとも、本気だとも。」
「だめですよ。間違っています。」と若い子は眉《まゆ》をひそめてまじめに言い、それから私にはよくわからない「花柳隠語」とでもいうような妙な言葉をつかって、三人の紋附の芸者が大いに言い争いをはじめた。
 しかし、私の思いは、ただ一点に向って凝結されていたのである。炬燵の上にはお料理のお膳《ぜん》が載せられてある。そのお膳の一|隅《ぐう》に、雀焼《すずめや》きの皿がある。私はその雀焼きが食いたくてならぬのだ。頃しも季節は大寒《だいかん》である。大寒の雀の肉には、こってりと油が乗っていて最もおいしいのである。寒雀《かんすずめ》と言って、この大寒の雀は、津軽の童児の人気者で、罠《わな》やら何やらさまざまの仕掛けをしてこの人気者をひっとらえては、塩焼きにして骨ごとたべるのである。ラムネの玉くらいの小さい頭も全部ばりばり噛《か》みくだいてたべるのである。頭の中の味噌《みそ》はまた素敵においしいという事になっていた。甚だ野蛮な事には違いないが、その独特の味覚の魅力に打ち勝つ事が出来ず、私なども子供の頃には、やはりこの寒雀を追いまわしたものだ。
 お篠さんが紋附の長い裾をひきずって、そのお料理のお膳を捧げて部屋へはいって来て、(すらりとしたからだつきで、細面《ほそおもて》の古風な美人型のひとであった。としは、二十二、三くらいであったろうか。あとで聞いた事だが、その弘前の或る有力者のお妾《めかけ》で、まあ、当時は一流のねえさんであったようである)そうして、私のあたっている炬燵の上に置いた瞬間、既に私はそのお膳の一隅に雀焼きを発見し、や、寒雀! と内心ひそかに狂喜したのである。たべたかった。しかし、私はかなりの見栄坊であった。紋附を着た美しい芸者三人に取りまかれて、ばりばりと寒雀を骨ごと噛みくだいて見せる勇気は無かった。ああ、あの頭の中の味噌はどんなにかおいしいだろう。思えば、寒雀もずいぶんしばらく食べなかったな、と悶《もだ》えても、猛然とそれを頬張る蛮勇は無いのである。私は仕方なく銀杏《ぎんなん》の実を爪楊枝《つまようじ》でつついて食べたりしていた。しかし、どうしても、あきらめ切れない。
 一方、女どもの言い争いは、いつまでもごたごた続いている。
 私は立上って、帰ると言った。
 お篠は、送ると言った、私たちは、どやどやと玄関に出た。あ、ちょっと、と言って、私は飛鳥の如く奥の部屋に引返し、ぎょろりと凄くあたりを見廻し、矢庭《やにわ》にお膳の寒雀二羽を掴《つか》んでふところにねじ込み、それからゆっくり玄関へ出て行って、
「わすれもの。」と嗄《しゃが》れた声で嘘を言った。
 お篠はお高祖頭巾をかぶって、おとなしく私の後について来た。私は早く下宿へ行って、ゆっくり二羽の寒雀を食べたいとそればかり思っていた。二人は雪路を歩きながら、格別なんの会話も無い。
 下宿の門はしまっていた。
「ああ、いけない。しめだしを食っちゃった。」
 その家の御主人は厳格なひとで、私の帰宅のおそすぎる時には、こらしめの意味で門をしめてしまうのである。
「いいわよ。」とお篠は落ちついて、「知ってる旅館がありますから。」
 引返して、そのお篠の知っている旅館に案内してもらった。かなり上等の宿屋である。お篠は戸を叩いて番頭を起し、私の事をたのんだ。
「さようなら。どうも、ありがとう。」と私は言った。
「さようなら。」とお篠も言った。
 これでよし、あとはひとりで雀焼きという事になる。私は部屋に通され、番頭の敷いてくれた蒲団《ふとん》にさっさともぐり込んで、さて、これからゆっくり寒雀をと思ったとたんに玄関で、
「番頭さん!」と呼ぶお篠の声。私は、ぎょっとして耳をすました。
「あのね、下駄《げた》の鼻緒《はなお》を切らしちゃったの。お願いだから、すげてね。あたしその間、お客さんの部屋で待ってるわ。」
 これはいけない、と私は枕元《まくらもと》の雀焼きを掛蒲団の下にかくした。
 お篠は部屋へはいって来て、私の枕元にきちんと坐り、何だか、いろいろ話しかける。私は眠そうな声で、いい加減の返辞をしている。掛蒲団の下には雀焼きがある。とうとうお篠とは、これほどたくさんのチャンスがあったのに、恋愛のレの字も起らなかった。お篠はいつまでも私の枕元に坐っていて、そうしてこう言った。
「あたしを、いやなの。」
 私はそれに対してこう答えた。
「いやじゃないけど、ねむくって。」
「そう。それじゃまたね。」
「ああ、おやすみ。」と私のほうから言った。
「おやすみなさい。」
 とお篠も言って、やっと立ち上った。
 そうして、それだけであった。その後、私は芸者遊びなど大いにするようになったが、なぜだか弘前で遊ぶのは気がひけて、おもに青森の芸者と遊んだ。問題の雀焼きは、お篠の退去後に食べたか、または興覚めて棄てちゃったか、思い出せない。さすがに、食べるのがいやになって、棄てちゃったような気もする。
 これが即ち、恋はチャンスに依らぬものだ、一夜のうちに「妙な縁」やら「ふとした事」やら「もののはずみ」やらが三つも四つも重って起っても、或る強固な意志のために、一向に恋愛が成立しないという事の例証である。ただもう「ふとした事」で恋愛が成立するものとしたら、それは実に卑猥《ひわい》な世相になってしまうであろう。恋愛は意志に依るべきである。恋愛チャンス説は、淫乱《いんらん》に近い。それではもう一つの、何のチャンスも無かったのに、十年間の恋をし続け得た経験とはどんなものであるかと読者にたずねられたならば、私は次のように答えるであろう。それは、片恋というものであって、そうして、片恋というものこそ常に恋の最高の姿である。
 庭訓《ていきん》。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。



底本:「太宰治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(平成元)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:miyako
2000年4月7日公開
2005年11月4日修正
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