かな希望をもつようになりました。それは大体年代からいうと昭和十年頃です。
省みますと、自分でははっきりと斯々《かくかく》の動機で文学を志したということは、判らないことで、殆ど無意識といってもいい位に、私はいつの間にやら文学の野原を歩いていたような気がするのです。気がついたらそれこそ往くも千里、帰るも千里というような、のっぴきならない文学の野原のまん中に立っていたのに気がついて、たいへん驚いたというようなところが真に近いかと思います。
先輩・好きな人達
私がおつき合いをお願いしている先輩は井伏|鱒二《ますじ》氏一人といっていい位です。あと評論家では河上徹太郎、亀井勝一郎、この人達も「文学界」の関係から飲み友達になりました。もっと年とった方の先輩では、これは交友というのは失礼かもしれないけれど、お宅に上らせて頂いた方《かた》は佐藤先生と豊島与志雄先生です。そうして井伏さんにはとうとう現在の家内を媒酌《ばいしゃく》して頂いた程、親しく願っております。
井伏さんといえば、初期の「夜ふけと梅の花」という本の諸作品は、殆ど宝石を並べたような印象を受けました。また嘉村礒多《かむら
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