》の間《ま》、いまはラプンツェルの意味不明の衰弱に、魂も動転し、夜も眠れず、ただ、うろうろ病床のまわりを、まごついているのです。王子は、やっぱり、しんからラプンツェルを愛していました。ラプンツェルの顔や姿の美しさ、または、ちがう環境に育った花の、もの珍らしさ、或《ある》いは、どこやら憐憫《れんびん》を誘うような、あわれな盲目の無智、それらの事がらにのみ魅《ひ》かれて王子が夢中で愛撫しているだけの話で、精神的な高い共鳴と信頼から生れた愛情でもなし、また、お互い同じ祖先の血筋を感じ合い、同じ宿命に殉じましょうという深い諦念と理解に結ばれた愛情でもないという理由から、この王子の愛情の本質を矢鱈に狐疑《こぎ》するのも、いけない事です。王子は、心からラプンツェルを可愛いと思っているのです。仕様の無いほど好きなのです。ただ、好きなのです。それで、いいではありませんか。純粋な愛情とは、そんなものです。女性が、心の底で、こっそり求めているものも、そのような、ひたむきな正直な好意以外のものでは無いと思います。精神的な高い信頼だの、同じ宿命に殉じるだのと言っても、お互い、きらいだったら滅茶滅茶です。なんにも、なりやしません。何だか好きなところがあるからこそ、精神的だの、宿命だのという気障《きざ》な言葉も、本当らしく聞えて来るだけの話です。そんな言葉は、互いの好意の氾濫《はんらん》を整理する為《ため》か、或いは、情熱の行いの反省、弁解の為に用いられているだけなのです。わかい男女の恋愛に於《お》いて、そんな弁解ほど、胸くその悪いものはありません。ことに、「女を救うため」などという男の偽善には、がまん出来ない。好きなら、好きと、なぜ明朗に言えないのか。おととい、作家のDさんのところへ遊びに行った時にも、そんな話が出たけれどDさんは、その時、僕を俗物だと言いやがった。そういうDさんだって、僕があの人の日常生活を親しくちょいちょい覗いてみたところに依《よ》ると、なあに御自分の好き嫌いを基準にしてちゃっかり生活しているんだ。あの人は、嘘つきだ。僕は俗物だって何だってかまわない。事実を、そのままはっきり言うのは、僕の好むところだ。人間は、好むところのものを行うのが一ばんいいのさ。脱線を致しました。僕は、精神的だの、理解だのの恋愛を考えられないだけの事です。王子の恋愛は正直です。王子のラプンツェルに対する愛情こそ、純粋なものだと思います。王子は、心からラプンツェルを愛していました。
「死ぬなんてばかな事を言ってはいけない。」と大いに不満そうに口を尖《とが》らせて言いました。
「私は君を、どんなに愛しているのか、わからないのか。」とも言いました。王子は、正直な人でした。でも、正直の美徳だけでは、ラプンツェルの重い病気をなおす事は出来ません。
「生きていてくれ!」と呻《うめ》きました。「死んでは、いかん!」と叫びました。他に何も、言うべき言葉が無いのです。
「ただ、生きて、生きてだけ、いてくれ。」と声を落して呟《つぶや》いた時、その時、
「ほんとうかね。生きてさえ居れば、いいのじゃな?」という嗄《しわが》れた声を、耳元に囁《ささや》かれ、愕然《がくぜん》として振り向くと、ああ、王子の髪は逆立ちました。全身に冷水を浴びせられた気持でした。老婆が、魔法使いの老婆が、すぐ背後に、ひっそり立っていたのです。
「何しに来た!」王子は勇気の故ではなく、あまりの恐怖の故に、思わず大声で叫びました。
「娘を助けに来たのじゃないか。」老婆は、平気な口調で答え、それから、にやりと笑いました。「知っていたのだよ。婆さんには、此《こ》の世で、わからない事は無いのだよ。みんな知っていましたよ。お前さまが、わしの娘を此の城に連れて来て、可愛いがっていなさる事は、とうから知っていましたよ。ただ、一時の、もて遊びものになさる気だったら、わしだって黙ってはいなかったのだが、そうでもないらしいので、わしは今まで我慢してやっていたのだよ。わしだって、娘が仕合せに暮していると、少しは嬉しいさ。けれども、もう、だめなようだね。お前さまは知るまいが魔法使いの家に生れた女の子は、男に可愛がられて子供を産むと、死ぬか、でもなければ、世の中で一ばん醜い顔になってしまうか、どちらかに、きまっているのだよ。ラプンツェルは、その事を、はっきりは知っていなかったようだが、でも、何かしら勘《かん》でわかっていた筈だね。子供を産むのを、いやがっていたろうに。可哀そうな事になったわい。お前さまは、一体、ラプンツェルを、どうなさるつもりだね。見殺しにするか、それとも、わしのような醜い顔になっても、生かして置きたいか。お前さまは、さっき、どんな事があっても、生きてだけいておくれ、と念じていなさったが、どうかね、わしのような顔になっても、生きていたほうがよいのかね。わしだって、若い頃には、ラプンツェルに決して負けない綺麗な娘だったが、旅の猟師に可愛がられラプンツェルを産んで、わしの母から死ぬか、生きていたいかと訊《たず》ねられ、わしは何としても生きていたかったから、生かして置いてくれとたのんだら、母は、まじないをして、わしの命を助けてくれたが、おかげで、わしはごらんのとおりの美事な顔になりましたよ。どうだね、さっきのお前さまの念願には、嘘が無いかね?」
「死なせて下さい。」ラプンツェルは、病床で幽《かす》かに身悶《みもだ》えして、言いました。「あたしさえ死ねば、もう、みなさん無事にお暮し出来るのです。王子さま、ラプンツェルは、いままでお世話になって、もう何の不足もございません。生きて、つらい目に遭うのは、いやです。」
「生かしてやってくれ!」王子は、こんどは本当の勇気を以《もっ》て、きっぱりと言いました。額には苦悶の油汗が浮いていました。「ラプンツェルは、この婆のような醜い顔になる筈が無い。」
「わしが、なんで嘘など言うものか。よろしい。そんならば、ラプンツェルを末永く生かして置いてあげよう。どんなに醜い顔になっても、お前さまは、変らずラプンツェルを可愛がってあげますか?」

       その五

 次男の病床の口述筆記は、短い割に、多少の飛躍があったようである。けれども、さすがに病床の粥腹《かゆばら》では、日頃、日本のあらゆる現代作家を冷笑している高慢無礼の驕児《きょうじ》も、その特異の才能の片鱗《へんりん》を、ちらと見せただけで、思案してまとめて置いたプランの三分の一も言い現わす事が出来ず、へたばってしまった。あたら才能も、風邪の微熱には勝てぬと見える。飛躍が少しはじまりかけたままの姿で、むなしくバトンは次の選手に委《ゆだ》ねられた。次の選手は、これまた生意気な次女である。あっと一驚させずば止《や》まぬ態《てい》の功名心に燃えて、四日目、朝からそわそわしていた。家族そろって朝ごはんの食卓についた時にも、自分だけは、特に、パンと牛乳だけで軽くすませた。家族のひとたちの様に味噌汁、お沢庵《たくあん》などの現実的なるものを摂取するならば胃腑《いふ》も濁って、空想も萎靡《いび》するに違いないという思惑からでもあろうか。食事をすませてから応接室に行き、つッ立ったまま、ピアノのキイを矢鱈《やたら》にたたいた。ショパン、リスト、モオツアルト、メンデルスゾオン、ラベル、滅茶滅茶に思いつき次第、弾いてみた。霊感を天降《あまくだ》らせようと思っているのだ。この子は、なかなか大袈裟である。霊感を得た、と思った。すました顔をして応接室を出て、それから湯殿に行き靴下を脱いで足を洗った。不思議な行為である。けれども次女は、此の行為に依ってみずからを浄《きよ》くしているつもりなのである。変態のバプテスマである。これでもう、身も心も清浄になったと、次女は充分に満足しておもむろに自分の書斎に引き上げた。書斎の椅子に腰をおろし、アアメン、と呟いた。これは、いかにも突飛である。この次女に、信仰などある筈はない。ただ、自分のいまの緊張を言いあらわすのに、ちょっと手頃な言葉だと思って、臨時に拝借してみたものらしい。アアメン、なるほど心が落ちつく。次女はもったい振り、足の下の小さい瀬戸の火鉢に、「梅花」という香《こう》を一つ焚《く》べて、すうと深く呼吸して眼を細めた。古代の閨秀《けいしゅう》作家、紫式部の心境がわかるような気がした。春はあけぼの、という文章をちらと思い浮べていい気持であったが、それは清少納言の文章であった事に気附いて少し興覚めた。あわてて机の本立から引き出した本は、「ギリシャ神話」である。すなわち異教の神話である。ここに於いて次女のアアメンは、真赤なにせものであったという事は完全に説明される。この本は、彼女の空想の源泉であるという。空想力が枯渇すれば、この本をひらく。たちまち花、森、泉、恋、白鳥、王子、妖精《ようせい》が眼前に氾濫するのだそうであるが、あまりあてにならない。この次女の、する事、為《な》す事、どうも信用し難い。ショパン、霊感、足のバプテスマ、アアメン、「梅花」、紫式部、春はあけぼの、ギリシャ神話、なんの連関も無いではないか。支離滅裂である。そうして、ただもう気取っている。ギリシャ神話をぱらぱらめくって、全裸のアポロの挿絵《さしえ》を眺め、気味のわるい薄笑いをもらした。ぽんと本を投げ出して、それから机の引き出しをあけ、チョコレートの箱と、ドロップの缶を取りだし、実にどうにも気障《きざ》な手つきで、――つまり、人さし指と親指と二本だけ使い、あとの三本の指は、ぴんと上に反《そ》らせたままの、あの、くすぐったい手つきでチョコレートをつまみ、口に入れるより早く嚥下《えんか》し、間髪をいれずドロップを口中に投げ込み、ばりばり噛み砕いて次は又、チョコレート、瞬時にしてドロップ、飢餓の魔物の如くむさぼり食うのである。朝食の時、胃腑を軽快になさんがため、特にパンと牛乳だけですませて置いた事も、これでは、なんにもならない。この次女は、もともと、よほどの大食いなのである。上品ぶってパンと牛乳で軽くすませてはみたが、それでは足りない。とても、足りるものではない。すなわち、書斎に引き籠《こも》り、人目を避けてたちまち大食いの本性を発揮したというわけなのである。とかく、いつわりの多い子である。チョコレート二十、ドロップ十個を嚥下し、けろりとしてトラビヤタの鼻唄をはじめた。唄いながら、原稿用紙の塵《ちり》を吹き払い、Gペンにたっぷりインクを含ませて、だらだらと書きはじめた。頗《すこぶ》る態度が悪いのである。
 ――あきらめを知らぬ、本能的な女性は、つねに悲劇を起します。という初枝(長女の名)女史の暗示も、ここに於いて多少の混乱に逢着したようでございます。ラプンツェルは魔の森に生れ、蛙《かえる》の焼串や毒茸《どくきのこ》などを食べて成長し、老婆の盲目的な愛撫の中でわがまま一ぱいに育てられ、森の烏や鹿を相手に遊んで来た、謂《い》わば野育ちの子でありますから、その趣味に於いても、また感覚に於いても、やはり本能的な野蛮なものが在るだろうという事は首肯できます。また、その本能的な言動が、かえって王子を熱狂させる程の魅力になっていたのだというのも容易に推察できる事でございます。けれども、果してラプンツェルは、あきらめを知らぬ女性であろうか。本能的な、野蛮な女性であった事は首肯出来ますが、いまの此のいのちの瀬戸際に於けるラプンツェルは、すべてを諦めているように見えるではないか。死にます、とラプンツェルは言っているのです。死んだほうがよい、と言っているのです。すべてを諦めたひとの言葉ではないでしょうか。けれども初枝女史は、ラプンツェルをあきらめを知らぬ女性として指摘して居ります。軽率《けいそつ》にそれに反対したら、叱られます。叱られるのは、いやな事ゆえ、筆者も、とにかく初枝女史の断案に賛意を表することに致します。ラプンツェルは、たしかに、あきらめを知らぬ女性であります。死なせて下さい、等という言葉は、たいへんいじらしい謙虚な響きを持って居りますが、なおよく、考えてみると
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