まの叙述ではなかった。大げさな言いかたで、自分でも少からず狼狽《ろうばい》しながら申し上げるのであるが、謂わば、詩と真実以外のものは、適度に整理して叙述した、というわけなのである。ところどころに、大嘘をさえ、まぜている。けれども、大体は、あの入江の家庭の姿を、写したものだ。一毛《いちもう》に於いて差異はあっても、九牛《きゅうぎゅう》に於いては、リアルであるというわけなのだ。もっとも私は、あの短篇小説に於いて、兄妹五人と、それから優しく賢明な御母堂に就《つ》いてだけ書いたばかりで、祖父ならびに祖母の事は、作品構成の都合上、無礼千万にも割愛してしまっているのである。これは、たしかに不当なる処置であった。入江の家を語るのに、その祖父、祖母を除外しては、やはり、どうしても不完全のようである。私は、いまはそのお二人に就いても語って置きたいのである。そのまえに一つお断りしなければならない事がある。それは、私の之《これ》からの叙述の全部は、現在ことしの、入江の家の姿ではなく、四年前に私がひそかに短篇小説に取りいれたその時の入江の家の雰囲気《ふんいき》に他ならないという一事である。いまの入江家は、少し
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