ばいけません。王子だって、淋しいお子です。ラプンツェルに死なれたら、どんなに力を落すでしょう。ラプンツェルは、王子の愛情に報いなければいけません。生きていたい、なんとかして生きたい。自分が、どんなにつらい目に遭っても、子供のために生きたい。その子を愛して、まるまると丈夫に育てたいと一すじに願う事こそ、まさしく、諦めを知った人間の謙虚な態度ではないでしょうか。自分は醜いから、ひとに愛される事は出来ないが、せめて人を、かげながら、こっそり愛して行こう、誰に知られずともよい、愛する事ほど大いなるよろこびは無いのだと、素直に諦めている女性こそ、まことに神の寵児《ちょうじ》です。そのひとは、よし誰にも愛されずとも、神さまの大きい愛に包まれている筈です。幸福なる哉《かな》、なんて、筆者は、おそろしく神妙な事を弁じ立てましたけれども、筆者の本心は、必ずしも以上の陳述のとおりでもないのであります。筆者は、やはり人間は、美しくて、皆に夢中で愛されたら、それに越した事は無いとも思っているのでございますが、でも、以上のように神妙に言い立てなければ、或いは初枝女史の御不興を蒙《こう》むるやも計り難いので、おっ
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