も、なりやしません。何だか好きなところがあるからこそ、精神的だの、宿命だのという気障《きざ》な言葉も、本当らしく聞えて来るだけの話です。そんな言葉は、互いの好意の氾濫《はんらん》を整理する為《ため》か、或いは、情熱の行いの反省、弁解の為に用いられているだけなのです。わかい男女の恋愛に於《お》いて、そんな弁解ほど、胸くその悪いものはありません。ことに、「女を救うため」などという男の偽善には、がまん出来ない。好きなら、好きと、なぜ明朗に言えないのか。おととい、作家のDさんのところへ遊びに行った時にも、そんな話が出たけれどDさんは、その時、僕を俗物だと言いやがった。そういうDさんだって、僕があの人の日常生活を親しくちょいちょい覗いてみたところに依《よ》ると、なあに御自分の好き嫌いを基準にしてちゃっかり生活しているんだ。あの人は、嘘つきだ。僕は俗物だって何だってかまわない。事実を、そのままはっきり言うのは、僕の好むところだ。人間は、好むところのものを行うのが一ばんいいのさ。脱線を致しました。僕は、精神的だの、理解だのの恋愛を考えられないだけの事です。王子の恋愛は正直です。王子のラプンツェルに対
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