として、石にかじりついても、生きのびて行くやも知れぬ。秀才、はざま貫一、勉学を廃止して、ゆたかな金貸し業をこころざしたというテエマは、これは今のかずかずの新聞小説よりも、いっそう切実なる世の中の断面を見せて呉《く》れる。
私、いま、自らすすんで、君がかなしき藁半紙《わらばんし》に、わが心臓つかみ出したる詩を、しるさむ。私、めったの人には断じて見せなかった未発表の大事の詩一篇。
附言する。われ藁半紙のゆえにのみしるす也と思うな。原稿用紙二枚に走り書きしたる君のお手紙を読み、謂《い》わば、屑籠《くずかご》の中の蓮《はちす》を、確実に感じたからである。君もまたクライストのくるしみを苦しみ、凋落《ちょうらく》のボオドレエルの姿態に胸を焼き、焦がれ、たしかに私と甲乙なき一二の佳品かきたることあるべしと推量したからである。ただし私、書くこと、この度一回に限る。私どんなひとでも、馴れ合うことは、いやだ。
因果
射的を
好む
頭でっかちの
弟。
兄は、いつでも、生命を、あげる。
葦の自戒
その一。ただ、世の中にのみ眼をむけよ。自然の風景に惑溺《わくでき》して居る我の姿を、自覚したるときには、「われ老憊《ろうばい》したり。」と素直に、敗北の告白をこそせよ。
その二。おなじ言葉を、必ず、二度むしかえして口の端に出さぬこと。
その三。「未だし。」
感想について
感想なんて! まるい卵もきり様《よう》ひとつで立派な四角形になるじゃないか。伏目がちの、おちょぼ口を装うこともできるし、たったいまたかまが原からやって来た原始人そのままの素朴の真似もできるのだ。私にとって、ただ一つ確実なるものは、私自身の肉体である。こうして寝ていて、十指を観る。うごく。右手の人差指。うごく。左の小指。これも、うごく。これを、しばらく、見つめて居ると、「ああ、私は、ほんとうだ。」と思う。他は皆、なんでも一切、千々《ちぢ》にちぎれ飛ぶ雲の思いで、生きて居るのか死んで居るのか、それさえ分明しないのだ。よくも、よくも! 感想だなぞと。
遠くからこの状態を眺めている男ひとり在りて曰く、「たいへん簡単である。自尊心。これ一つである。」
すらだにも
金槐集《きんかいしゅう》をお読みのひとは知って居られるだろうが、実朝《さねとも》のうたの中に、「すらだにも。」なる一句があった。前後はしかと覚えて居らぬが、あわれ、けだものすらだにも、云々というような歌であった。
二十代の心情としては、どうしても、「すらだにも。」といわなければならぬところである。ここまで努めて、すらだにも、と口に出したくなって来るではないか。実朝を知ること最も深かった真淵《まぶち》、国語をまもる意味にて、この句を、とらず。いまになりては、いずれも佳《よ》きことをしたと思うだけで、格別、真淵をうらまない。
慈眼
「慈眼。」というのは亡兄の遺作(へんな仏像)に亡兄みずから附したる名前であって、その青色の二尺くらいの高さの仏像は、いま私の部屋の隅に置いて在るが、亡兄、二十七歳、最後の作品である。二十八歳の夏に死んだのだから。
そういえば、私、いま、二十七歳。しかも亡兄のかたみの鼠色の縞《しま》の着物を着て寝て居る。 二三年まえ、罪なきものを殴《なぐ》り、蹴《け》ちらかして、馬の如く巷《ちまた》を走り狂い、いまもなお、ときたま、余燼《よじん》ばくはつして、とりかえしのつかぬことをしてしまうのである。どうにでもなれと、一日一ぱいふんぞりかえって寝て居ると、わが身に、慈眼の波ただよい、言葉もなく、にこやかに、所謂《いわゆる》えびす顔になって居る場合が多い。われながら、まるでたわいがないのだ。
この項、これだけのことで、読者、不要の理窟を附さぬがよい。
重大のこと
知ることは、最上のものにあらず。人智には限りありて、上は――氏より、下は――氏にいたるまで、すべて似たりよったりのものと知るべし。
重大のことは、ちからであろう。ミケランジェロは、そんなことをせずともよい豊かな身分であったのに、人手は一切借りず何もかもおのれひとりで、大理石塊を、山から町の仕事場までひきずり運び、そうして、からだをめちゃめちゃにしてしまった。
附言する。ミケランジェロは、人を嫌ったから、あんなに人に嫌われたのだそうである。
敵
私をしんに否定し得るものは、(私は十一月の海を眺めながら思う。)百姓である。十代まえからの水呑百姓、だけである。
丹羽文雄、川端康成、市村羽左衛門、そのほか。私には、かぜ一つひいてさえ気にかかる。
追記。本誌連載中、同郷の友たる今官一君の「海鴎の章。」を読み、その快文章、私の胸でさえ躍らされた。このみごとなる文章の行く先々を見つめ居る者、けっして、私のみに非ざることを確信して居る。
健康
なんにもしたくないという無意志の状態は、そのひとが健康だからである。少くとも、ペエンレッスの状態である。それでは、上は、ナポレオン、ミケランジェロ、下は、伊藤博文、尾崎紅葉にいたるまで、そのすべての仕事は、みんな物狂いの状態から発したものなのか。然《しか》り。間違いなし。健康とは、満足せる豚。眠たげなポチ。
K君
おそるおそる、たいへんな秘密をさぐるが如き、ものものしき仕草で私に尋ねた。「あなたは、文学がお好きなのですか。」私はだまって答えなかった。面貌だけは凛乎《りんこ》たるところがあったけれど、なんの知識もない、十八歳の少年なのである。私にとって、唯一無二の苦手であった。
ポオズ
はじめから、空虚なくせに、にやにや笑う。「空虚のふり。」
絵はがき
この点では、私と山岸外史とは異るところがある。私、深山のお花畑、初雪の富士の霊峰。白砂に這《は》い、ひろがれる千本松原、または紅葉に見えかくれする清姫滝、そのような絵はがきよりも浅草仲店の絵はがきを好むのだ。人ごみ。喧噪《けんそう》。他生の縁あってここに集《つど》い、折も折、写真にうつされ、背負って生れた宿命にあやつられながら、しかも、おのれの運命開拓の手段を、あれこれと考えて歩いている。私には、この千に余る人々、誰ひとりをも笑うことが許されぬ。それぞれ、努めて居るにちがいないのだ。かれら一人一人の家屋。ちち、はは。妻と子供ら。私は一人一人の表情と骨格とをしらべて、二時間くらいの時を忘却する。
いつわりなき申告
黙然たる被告は、突如立ちあがって言った。
「私は、よく、ものごとを識っています。もっと識ろうと思っています。私は卒直であります。卒直に述べようと思っています。」
裁判長、傍聴人、弁護士たちでさえ、すこぶる陽気に笑いさざめいた。被告は坐ったまま、ついにその日一日おのれの顔を両手もて覆っていた。夜、舌を噛み切り、冷くなった。
乱麻《らんま》を焼き切る
小説論が、いまのように、こんぐらかって来ると、一言、以《もっ》て之《これ》を覆《おお》いたくなって来るのである。フランスは、詩人の国。十九世紀の露西亜《ロシア》は、小説家の国なりき。日本は、古事記。日本書紀。万葉の国なり。長編小説などの国には非《あら》ず。小説家たる君、まず異国人になりたまえ。あれも、これも、と佳《よ》き工合《ぐあい》には、断じていかぬよう也。君の兄たり友たり得るもの、プウシキン、レエルモントフ、ゴオゴリ、トルストイ、ドストエフスキイ、アンドレエフ、チエホフ、たちまち十指にあまる勢いではないか。
最後のスタンドプレイ
ダヴィンチの評伝を走り読みしていたら、はたと一枚の挿画に行き当った。最後の晩餐《ばんさん》の図である。私は目を見はった。これはさながら地獄の絵掛地。ごったがえしの、天地震動の大騒ぎ。否。人の世の最も切なき阿修羅《あしゅら》の姿だ。
十九世紀のヨオロッパの文豪たちも、幼くしてこの絵を見せられ、こわき説明を聞かされたにちがいない。
「われを売る者、この中にひとりあり。」キリストはそう呟《つぶや》いて、かれの一切の希望をさらっと捨て去った、刹那《せつな》の姿を巧みにとらえた。ダヴィンチは、キリストの底しれぬ深い憂愁と、われとわが身を静粛に投げ出したるのちの無限のいつくしみの念とを知っていた。そうしてまた、十二の使徒のそれぞれの利己的なる崇敬の念をも悉知《しっち》していた。よし。これを一つ、日本浪曼派の同人諸兄にたのんで、芝居をしてもらおう。精悍《せいかん》無比の表情を装い、斬人斬馬の身ぶりを示して居るペテロは誰。おのれの潔白を証明することにのみ急なる態のフィリッポスは誰。ただひたすらに、あわてふためいて居るヤコブは誰。キリストの胸のおん前に眠るが如くうなだれて居るこの小鳩のように優美なるヨハネは誰。そうして、最後に、かなしみ極りてかえって、ほのかに明るき貌《かお》の、キリストは誰。
山岸、あるいは、自らすすんでキリストの役を買って出そうであるが、果して、どういうものであるか。中谷孝雄なる佳《よ》き青年の存在をもゆめ忘れてはならないし、そのうえ、「日本浪曼派」という目なき耳なき混沌《こんとん》の怪物までひかえて居る。ユダ。左手もて何やらんおそろしきものを防ぎ、右手もて、しっかと金嚢《きんのう》を掴んで居る。君、その役をどうか私にゆずってもらいたい。私、「日本浪曼派」を愛すること最も深く、また之を憎悪するの念もっとも高きものがあります故。
冷酷ということについて
厳酷と冷酷とは、すでにその根元に於いて、相違って居るものである。厳酷、その奥底には、人間の本然《ほんねん》の、あたたかい思いやりで一ぱいであるのだが、冷酷は、ちゃちなガラスの器物の如きもので、ここには、いかなる花ひとつ、咲きいでず、まるで縁なきものである。
わがかなしみ
夜道を歩いていると、草むらの中で、かさと音がする。蝮蛇《まむし》の逃げる音。
文章について
文士というからには、文に巧みなるところなくては、かなうまい。佳き文章とは、「情|籠《こも》りて、詞《ことば》舒《の》び、心のままの誠《まこと》を歌い出でたる」態のものを指していう也《なり》。情籠りて云々は上田敏、若きころの文章である。
ふと思う
なんだ、みんな同じことを言っていやがる。
Y子
そのささやきには真摯《しんし》の響きがこもっていた。たった二度だけ。その余《よ》は、私を困らせた。
「私、なんだか、ばかなことを言っちゃったようね。」
「私にだって個性があるわよ。でも、あんなに言われたら黙っているよりほかに仕様がないじゃないの。」
言葉の奇妙
「舌もつれる。」「舌の根をふるわす。」「舌を巻く。」「舌そよぐ。」
まんざい
私のいう掛合いまんざいとは、たとえば、つぎの如きものを指して言うのである。
問。「君はいったい、誰に見せようとして、紅《べに》と鉄漿《かね》とをつけているのであるか。」
答。「みんな、様《さま》ゆえ。おまえゆえ。」
へらへら笑ってすまされる問答ではないのである。殴るのにさえ、手がよごれる。君の中にも!
わが神話
いんしゅう、いなばの小兎。毛をむしられて、海水に浸り、それを天日でかわかした。これは痛苦のはじまりである。
いんしゅう、いなばの小兎。淡水でからだを洗い、蒲《がま》の毛を敷きつめて、その中にふかふかと埋って寝た。これは、安楽のはじまりであろう。
最も日常茶飯事的なるもの
「おれは男性である。」この発見。かれは家人の「女性。」に気づいてから、はじめて、かれの「男性。」に気づいた。同棲《どうせい》、以来、七年目。
蟹《かに》について
阿部次郎のエッセイの中に、小さい蟹が自分のうちの台所で、横っ飛びに飛んだ。蟹も飛べるのか、そう思ったら、涙が出たという文章があっ
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