を参考にしてそろそろとおのれの論陣をかためて行く。因果。
「私は、はかなくもばかげたこの虚栄の市を愛する。私は生涯、この虚栄の市に住み、死ぬるまでさまざまの甲斐《かい》なき努力しつづけて行こうと思う。」
虚栄の子のそのような想念をうつらうつらまとめてみているうちに、私は素晴らしい仲間を見つけた。アントン・ファン・ダイク。彼が二十三歳の折に描いた自画像である。アサヒグラフ所載のものであって、児島喜久雄というひとの解説がついている。「背景は例の暗褐色。豊かな金髪をちぢらせてふさふさと額《ひたい》に垂らしている。伏目につつましく控えている碧《あお》い神経質な鋭い目も、官能的な桜桃色の唇も相当なものである。肌理《きめ》の細かい女のような皮膚の下から綺麗《きれい》な血の色が、薔薇色《ばらいろ》に透いて見える。黒褐色の服に雪白の襟《えり》と袖口《そでぐち》。濃い藍《あい》色の絹のマントをシックに羽織っている。この画は伊太利亜《イタリア》で描いたもので、肩からかけて居る金鎖はマントワ侯の贈り物だという。」またいう、「彼の作品は常に作後の喝采《かっさい》を目標として、病弱の五体に鞭《むち》うつ彼の虚栄心の結晶であった。」そうであろう。堂々と自分のつらを、こんなにあやしいほど美しく書き装うてしかもおそらくは、ひとりの貴婦人へ頗《すこぶ》る高価に売りつけたにちがいない二十三歳の小僧の、臆面もなきふてぶてしさを思うと、――いたたまらぬほど憎くなる。
敗北の歌
曳《ひ》かれものの小唄という言葉がある。痩馬《やせうま》に乗せられ刑場へ曳かれて行く死刑囚が、それでも自分のおちぶれを見せまいと、いかにも気楽そうに馬上で低吟する小唄の謂いであって、ばかばかしい負け惜しみを嘲《あざわら》う言葉のようであるが、文学なんかも、そんなものじゃないのか。早いところ、身のまわりの倫理の問題から話をすすめてみる。私が言わなければ誰も言わないだろうから、私が次のようなあたりまえのことを言うても、何やら英雄の言葉のように響くかも知れないが、だいいちに私は私の老母がきらいである。生みの親であるが好きになれない。無智。これゆえにたまらない。つぎに私は、四谷怪談の伊右衛門に同情を持つ者であるということを言わなければならない。まったく、女房の髪が抜け、顔いちめん腫《は》れあがって膿《うみ》が流れ、おまけに
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