いへんねばる事が出来ます。君と、ご同様です。
 十分間、皆その場に坐ったままで休憩しました。それから、私は生徒たちのまん中に席を移して、質問を待ちました。
「さっきの、幼年時代をお書きになる時、子供の心になり切る事も、むずかしいでしょうし、やはり作者としての大人の心も案配《あんばい》されていると思うのですが。」もっともな質問であります。
「いや、その事に就いては、僕は安心しています。なぜなら、僕は、いまでも子供ですから。」みんな笑いました。私は、笑わせるつもりで言ったのではないのでした。私の嘆きを真面目に答えたつもりなのでした。
 質問は、あまりありませんでした。仕方が無いから、私は独白の調子でいろいろ言いました。ありがとう、すみません、等の挨拶の言葉を、なぜ人は言わなければならないか。それを感じた時、人は、必ずそれを言うべきである。言わなければわからぬという興覚めの事実。卑屈は、恥に非ず。被害妄想と一般に言われている心の状態は、必ずしも精神病でない。自己制御、謙譲も美しいが、のほほん顔の王さまも美しい。どちらが神に近いか、それは私にも、わからない。いろいろ思いつくままに、言いました。
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