いへんねばる事が出来ます。君と、ご同様です。
十分間、皆その場に坐ったままで休憩しました。それから、私は生徒たちのまん中に席を移して、質問を待ちました。
「さっきの、幼年時代をお書きになる時、子供の心になり切る事も、むずかしいでしょうし、やはり作者としての大人の心も案配《あんばい》されていると思うのですが。」もっともな質問であります。
「いや、その事に就いては、僕は安心しています。なぜなら、僕は、いまでも子供ですから。」みんな笑いました。私は、笑わせるつもりで言ったのではないのでした。私の嘆きを真面目に答えたつもりなのでした。
質問は、あまりありませんでした。仕方が無いから、私は独白の調子でいろいろ言いました。ありがとう、すみません、等の挨拶の言葉を、なぜ人は言わなければならないか。それを感じた時、人は、必ずそれを言うべきである。言わなければわからぬという興覚めの事実。卑屈は、恥に非ず。被害妄想と一般に言われている心の状態は、必ずしも精神病でない。自己制御、謙譲も美しいが、のほほん顔の王さまも美しい。どちらが神に近いか、それは私にも、わからない。いろいろ思いつくままに、言いました。罪の意識という事に就いても言いました。やがて委員が立って、「それでは、之《これ》で座談会を終了いたします。」と言ったら、なあんだというような力ない安堵《あんど》に似た笑い声が聴衆の間にひろがりました。
これで、私の用事は、すんだのです。いや、それから生徒の有志たちと、まちのイタリヤ軒という洋食屋で一緒に晩ごはんをいただいて、それから、はじめて私は自由になれるわけなのです。会場からまた拍手に送られて退出し、薄暗い校長室へ行き、主任の先生と暫《しばら》く話をして、紅白の水引で綺麗《きれい》に結ばれた紙包をいただき、校門を出ました。門の傍では、五、六人の生徒たちがぼんやり佇《たたず》んでいました。
「海を見に行こう。」と私のほうから言葉を掛けて、どんどん海岸のほうへ歩いて行きました。生徒たちは、黙ってついて来ました。
日本海。君は、日本海を見た事がありますか。黒い水。固い浪。佐渡が、臥牛《がぎゅう》のようにゆったり水平線に横わって居ります。空も低い。風の無い静かな夕暮でありましたが、空には、きれぎれの真黒い雲が泳いでいて、陰鬱でありました。荒海や佐渡に、と口ずさんだ芭蕉の傷心もわかるよう
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