たらしく、火薬の匂《にお》いみたいなものさえ感ぜられたくらいで、倒壊した駅の建物から黄色い砂ほこりが濛々《もうもう》と舞い立っていました。
 ちょうど、東北地方がさかんに空襲を受けていた頃で、仙台は既に大半焼かれ、また私たちが上野駅のコンクリートの上にごろ寝をしていた夜には、青森市に対して焼夷弾《しょういだん》攻撃が行われたようで、汽車が北方に進行するにつれて、そこもやられた、ここもやられたという噂《うわさ》が耳にはいり、殊《こと》に青森地方は、ひどい被害のようで、青森県の交通全部がとまっているなどという誇大なことを真面目《まじめ》くさって言うひともあり、いつになったら津軽の果の故郷へたどり着く事が出来るやら、まったく暗澹《あんたん》たる気持でした。
 福島を過ぎた頃から、客車は少しすいて来て、私たちも、やっと座席に腰かけられるようになりました。ほっと一息ついたら、こんどは、食料の不安が持ちあがりました。おにぎりは三日分くらい用意して来たのですが、ひどい暑気のために、ごはん粒が納豆《なっとう》のように糸をひいて、口に入れて噛《か》んでもにちゃにちゃして、とても嚥《の》み込む事が出来ない
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