応ずるが如く、
「蒸しパンなら、あの、わたくし、……」
という不思議な囁《ささや》きが天《そら》から聞えました。
誇張ではありません。たしかに、私の頭の上から聞えたのです。ふり仰ぐと、それまで私のうしろに立っていたらしい若い女のひとが、いましも腕を伸ばして網棚《あみだな》の上の白いズックの鞄《かばん》をおろそうとしているところでした。たくさんの蒸しパンが包まれているらしい清潔なハトロン紙の包みが、私の膝《ひざ》の上に載せられました。私は黙っていました。
「あの、お昼につくったのですから、大丈夫だと思いますけど。それから、……これは、お赤飯です。それから、……これは、卵です。」
つぎつぎと、ハトロン紙の包が私の膝の上に積み重ねられました。私は何も言えず、ただぼんやり、窓の外を眺めていました。夕焼けに映えて森が真赤に燃えていました。汽車がとまって、そこは仙台駅でした。
「失礼します。お嬢ちゃん、さようなら。」
女のひとは、そう言って私のところの窓からさっさと降りてゆきました。
私も妻も、一言も何もお礼を言うひまが、なかったのです。
そのひとに、その女のひとに、私は逢いたいのです
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