、見せかけだったのね。どうして、どうして。
但馬さんが個展の相談を持って来られた時から、あなたは、何だか、おしゃれになりました。まず、歯医者へ通いはじめました。あなたは虫歯が多くて、お笑いになると、まるでおじいさんのように見えましたが、けれどもあなたは、ちっとも気になさらず、私が、歯医者へおいでになるようにおすすめしても、いいよ、歯がみんな無くなりゃあ総入歯にするんだ、金歯を光らせて女の子に好かれたって仕様が無い、等と冗談ばかりおっしゃって、一向に歯のお手入れをなさらなかったのに、どういう風の吹き廻しか、お仕事の合間、合間に、ちょいちょいと出かけて行っては、一本二本と、金歯を光らせてお帰りになるようになりました。こら、笑ってみろ、と私が言ったら、あなたは、鬚《ひげ》もじゃの顔を赤くして、但馬の奴《やつ》が、うるさく言うんだ、と珍しく気弱い口調で弁解なさいました。個展は、私が淀橋へまいりましてから二年目の秋に、ひらかれました。私は、うれしゅうございました。あなたの画が、一人でも多くの人に愛されるのに、なんで、うれしくない事がありましょう。私には、先見の明《めい》があったのですものね。でも、新聞でもあんなに、ひどくほめられるし、出品の画が、全部売り切れたそうですし、有名な大家《たいか》からも手紙が来ますし、あんまり、よすぎて、私は恐しい気が致しました。会場へ、見に来いと、あなたにも、但馬さんにも、あれほど強く言われましたけれど、私は、全身震えながら、お部屋で編物ばかりしていました。あなたの、あの画が、二十枚も、三十枚も、ずらりと並んで、それを大勢の人たちが、眺《なが》めている有様を、想像してさえ、私は泣きそうになってしまいます。こんなに、いい事が、こんなに早く来すぎては、きっと、何か悪い事が起るのだとさえ、考えました。私は、毎夜、神様に、お詫《わ》びを申しました。どうか、もう、幸福は、これだけでたくさんでございますから、これから後、あの人が病気などなさらぬよう、悪い事の起らぬよう、お守り下さい、と念じていました。あなたは毎夜、但馬さんに誘われて、ほうぼうの大家《たいか》のところへ挨拶《あいさつ》に参ります。翌朝お帰りの事も、ございましたが、私は別に何とも思っていないのに、あなたは、それは精《くわ》しく前夜の事を私に語って下さって、何先生は、どうだとか、あれは愚物だとか、無口なあなたらしくもなく、ずいぶんつまらぬお喋りをはじめます。私は、それまで二年、あなたと暮して、あなたが人の陰口をたたいたのを伺った事が一度もありませんでした。何先生は、どうだって、あなたは唯我独尊《ゆいがどくそん》のお態度で、てんで無関心の御様子だったではありませんか。それに、そんなお喋りをして、前夜は、あなたに何のうしろ暗いところも無かったという事を、私に納得させようと、お努めになって居られるようなのですが、そんな気弱な遠廻しの弁解をなさらずとも、私だって、まさか、これまで何も知らずに育って来たわけでもございませんし、はっきりおっしゃって下さったほうが、一日くらい苦しくても、あとは私はかえって楽になります。所詮《しょせん》は生涯の、女房なのですから。私は、そのほうの事では、男の人を、あまり信用して居りませんし、また、滅茶に疑っても居りません。そのほうの事でしたら、私は、ちっとも心配して居りませぬし、また、笑って怺《こら》える事も出来るのですけれど、他に、もっと、つらい事がございます。
私たちは、急にお金持になりました。あなたも、ひどくおいそがしくなりました。二科会から迎えられて、会員になりました。そうして、あなたは、アパートの小さい部屋を、恥ずかしがるようになりました。但馬さんもしきりに引越すようにすすめて、こんなアパートに居るのでは、世の中の信用も如何《いかが》と思われるし、だいいち画の値段が、いつまでも上りません、一つ奮発して大きい家を、お借りなさい、と、いやな秘策をさずけ、あなたまで、そりゃあそうだ、こんなアパートに居ると、人が馬鹿にしやがる、等と下品なことを、意気込んで言うので、私は何だか、ぎょっとして、ひどく淋しくなりました。但馬さんは自転車に乗ってほうぼう走り廻り、この三鷹町の家を見つけて下さいました。としの暮に私たちは、ほんのわずかなお道具を持って、この、いやに大きいお家へ引越して参りました。あなたは、私の知らぬ間にデパートへ行って何やらかやら立派なお道具を、本当にたくさん買い込んで、その荷物が、次々とデパートから配達されて来るので、私は胸がつまって、それから悲しくなりました。これではまるで、そこらにたくさんある当り前の成金《なりきん》と少しも違っていないのですもの。けれども私は、あなたに悪くて、努めて嬉しそうに、はしゃいでいました。いつの間にか私は、あの、いやな「奥様」みたいな形になっていました。あなたは、女中を置こうとさえ言い出しましたけれど、それだけは、私は、何としても、いやで、反対いたしました。私には、人を、使うことが出来ません。引越して来て、すぐにあなたは、年賀状を、移転通知を兼ねて三百枚も刷らせました。三百枚。いつのまに、そんなにお知合いが出来たのでしょう。私には、あなたが、たいへんな危い綱渡りをはじめているような気がして、恐しくてなりませんでした。いまに、きっと、悪い事が起る。あなたは、そんな俗な交際などなさって、それで成功なさるようなお方では、ありません。そう思って、私は、ただはらはらして、不安な一日一日を送っていたのでございますが、あなたは躓《つまず》かぬばかりか、次々と、いい事ばかりが起るのでした。私が間違っているのでしょうか。私の母も、ちょいちょい、この家へ訪ねて来るようになって、その度毎に、私の着物やら貯金帳やらを持って来て下さって、とても機嫌《きげん》がいいのです。父も、会社の応接間の画を、はじめは、いやがって会社の物置にしまわせていたのだそうですが、こんどは、それを家へ持って来て、額縁も、いいのに変えて、父の書斎に掛けているのだそうです。池袋の大姉さんも、しっかりおやり等と、お手紙を下さるようになりました。お客様も、ずいぶん多くなりました。応接間が、お客様で一ぱいになる事もありました。そんな時、あなたの陽気な笑い声が、お台所まで聞えて来ました。あなたは、ほんとに、お喋りになりました。以前あなたは、あんなに無口だったので、私は、ああ、このおかたは、何もかもわかっていながら、何でも皆つまらないから、[#「、」は底本では「、、」]こんなに、いつでも黙って居られるのだ、とばかり思い込んで居りましたが、そうでもないらしいのね。あなたは、お客様の前で、とてもつまらない事を、おっしゃって居られます。前の日に、お客様から伺ったばかりの画の論を、そっくりそのまま御自分の意見のように鹿爪《しかつめ》らしく述べていたり、また、私が小説を読んで感じた事をあなたに、ちょっと申し上げると、あなたはその翌日、すましてお客様に、モオパスサンだって、やはり信仰には、おびえていたんだね、なんて私の愚論をそのままお聞かせしているものですから、私はお茶を持って応接間にはいりかけて、あまり恥ずかしくて立ちすくんでしまう事もありました。あなたは、以前は、なんにも知らなかったのね。ごめんなさい。私だって、なんにも、ものを知りませんけれども、自分の言葉だけは、持っているつもりなのに、あなたは、全然、無口か、でもないと、人の言った事ばかりを口真似《くちまね》しているだけなんですもの。それなのに、あなたは不思議に成功なさいました。そのとしの二科の画は、新聞社から賞さえもらって、その新聞には、何だか恥ずかしくて言えないような最大級の讃辞が並べられて居りました。孤高、清貧、思索、憂愁、祈り、シャヴァンヌ、その他いろいろございました。あなたは、あとでお客様とその新聞の記事に就いてお話なされ、割合、当っていたようだね、等と平気でおっしゃって居られましたが、まあ何という事を、おっしゃるのでしょう。私たちは清貧ではございません。貯金帳を、ごらんにいれましょうか。あなたは、この家に引越して来てからは、まるで人が変ったように、お金の事を口になさるようになりました。お客様に画をたのまれると、あなたは、必ずお値段の事を悪びれもせずに、言い出します。はっきりさせて置いたほうが、後でいざこざが起らなくて、お互に気持がいいからね、などと、あなたはお客様におっしゃって居られますが、私はそれを小耳にはさんで、やはり、いやな気が致しました。なんでそんなに、お金にこだわることがあるのでしょう。いい画さえ描いて居れば、暮しのほうは、自然に、どうにかなって行くものと私には思われます。いいお仕事をなさって、そうして、誰にも知られず、貧乏で、つつましく暮して行く事ほど、楽しいものはありません。私は、お金も何も欲しくありません。心の中で、遠い大きいプライドを持って、こっそり生きていたいと思います。あなたは私の、財布の中まで、おしらべになるようになりました。お金がはいると、あなたは、あなたの大きい財布と、それから、私の小さい財布とに、お金をわけて、おいれになります。あなたの財布には、大きいお紙幣《さつ》を五枚ばかり、私の財布には、大きいお紙幣一枚を、四つに畳んでお容れになります。あとのお金は、郵便局と銀行へ、おあずけになります。私は、いつでも、それを、ただ傍で眺めています。いつか私が、貯金帳をいれてある書棚《しょだな》の引き出しの鍵《かぎ》を、かけるのを忘れていたら、あなたは、それを見つけて、困るね、と、しんから不機嫌に、私におこごとを言うので、私は、げっそり致しました。画廊へ、お金を受取りにおいでになれば、三日目くらいにお帰りになりますが、そんな時でも、深夜、酔ってがらがらと玄関の戸をあけて、おはいりになるや否や、おい、三百円あまして来たぞ、調べて見なさい、等と悲しい事を、おっしゃいます。あなたのお金ですもの、いくらお使いになったって平気ではないでしょうか。たまには気晴しに、うんとお金を使いたくなる事もあるだろうと思います。みんな使うと、私が、がっかりするとでも思って居られるのでしょうか。私だって、お金の有難さは存じていますが、でも、その事ばかり考えて生きているのでは、ございません。三百円だけ残して、そうして得意顔でお帰りになるあなたのお気持が、私には淋しくてなりません。私は、ちっともお金を欲しく思っていません。何を買いたい、何を食べたい、何を観たいとも思いません。家の道具も、たいてい廃物利用で間に合わせて居りますし、着物だって染め直し、縫い直しますから一枚も買わずにすみます。どうにでも、私は、やって行きます。手拭掛《てぬぐいか》け一つだって、私は新しく買うのは、いやです。むだな事ですもの。あなたは時々、私を市内へ連れ出して、高い支那料理などを、ごちそうして下さいましたが、私にはちっともおいしいとは思われませんでした。何だか落ちつかなくて、おっかなびっくりの気持で、本当に、勿体《もったい》なくて、むだな事だと思いました。三百円よりも、支那料理よりも、私には、あなたが、この家のお庭に、へちまの棚を作って下さったほうが、どんなに嬉《うれ》しいかわかりません。八畳間の縁側には、あんなに西日が強く当るのですから、へちまの棚をお作りになると、きっと工合がいいと思います。あなたは、私があれほどお願いしても、植木屋を呼んだらいいとか、おっしゃって、ご自分で作っては、くださいません。植木屋を呼ぶなんて、そんなお金持の真似《まね》は、私は、いやです。あなたに、作っていただきたいのに、あなたは、よし、よし、来年は、等とおっしゃるばかりで、とうとう今日まで、作っては下さいません。あなたは、御自分の事では、ひどく、むだ使いをなさるのに、人の事には、いつでも知らん顔をなさって居ります。いつでしたかしら、お友達の雨宮さんが、奥さんの御病気で困って、御相談にいらした時、あなたは、わざわざ私を応接間にお呼びになって、家にい
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