で調べて来るのか、父も母も、さまざまの事実を私に言い聞かせて叱《しか》りました。けれども、但馬さんの熱心なとりなしで、どうやら見合いまでには漕《こ》ぎつけました。千疋屋《せんびきや》の二階に、私は母と一緒にまいりました。あなたは、私の思っていたとおりの、おかたでした。ワイシャツの袖口《そでぐち》が清潔なのに、感心いたしました。私が、紅茶の皿を持ち上げた時、意地悪くからだが震えて、スプーンが皿の上でかちゃかちゃ鳴って、ひどく困りました。家へ帰ってから、母は、あなたの悪口を、一そう強く言っていました。あなたが煙草《たばこ》ばかり吸って、母には、ろくに話をして上げなかったのが、何より、いけなかったようでした。人相が悪い、という事も、しきりに言っていました。見込みがないというのです。けれども私は、あなたのところへ行く事に、きめていました。ひとつき、すねて、とうとう私が勝ちました。但馬さんとも相談して、私は、ほとんど身一つで、あなたのところへ参りました。淀橋《よどばし》のアパートで暮した二|箇《か》年ほど、私にとって楽しい月日《つきひ》は、ありませんでした。毎日毎日、あすの計画で胸が一ぱいでした。あなたは、展覧会にも、大家《たいか》の名前にも、てんで無関心で、勝手な画ばかり描いていました。貧乏になればなるほど、私はぞくぞく、へんに嬉しくて、質屋にも、古本屋にも、遠い思い出の故郷のような懐《なつか》しさを感じました。お金が本当に何も無くなった時には、自分のありったけの力を、ためす事が出来て、とても張り合いがありました。だって、お金の無い時の食事ほど楽しくて、おいしいのですもの。つぎつぎに私は、いいお料理を、発明したでしょう? いまは、だめ。なんでも欲しいものを買えると思えば、何の空想も湧《わ》いて来ません。市場へ出掛けてみても私は、虚無です。よその叔母さんたちの買うものを、私も同じ様に買って帰るだけです。あなたが急にお偉くなって、あの淀橋のアパートを引き上げ、この三鷹《みたか》町の家に住むようになってからは、楽しい事が、なんにもなくなってしまいました。私の、腕の振いどころが無くなりました。あなたは、急にお口《くち》もお上手になって、私を一そう大事にして下さいましたが、私は自身が何だか飼い猫のように思われて、いつも困って居りました。私は、あなたを、この世で立身なさるおかたとは思わ
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