て居られますし、雨宮さんがおいでの時は、雨宮さんに、とても優しくしてあげて、やっぱり友人は君だけだ等と、嘘とは、とても思えないほど感激的におっしゃって、そうして、こんどは葛西さんの御態度に就いて非難を、おはじめになるのです。世の中の成功者とは、みんな、あなたのような事をして暮しているものなのでしょうか。よくそれで、躓《つまず》かずに生きて行けるものだと、私は、そら恐しくも、不思議にも思います。きっと、悪い事が起る。起ればいい。あなたのお為にも、神の実証のためにも、何か一つ悪い事が起るように、私の胸のどこかで祈っているほどになってしまいました。けれども、悪い事は起りませんでした。一つも起りません。相変らず、いい事ばかりが続きます。あなたの団体の、第一回の展覧会は、非常な評判のようでございました。あなたの、菊の花の絵は、いよいよ心境が澄み、高潔な愛情が馥郁《ふくいく》と匂《にお》っているとか、お客様たちから、お噂《うわさ》を承りました。どうして、そういう事になるのでしょう。私は、不思議でたまりません。ことしのお正月には、あなたは、あなたの画の最も熱心な支持者だという、あの有名な、岡井先生のところへ、御年始に、はじめて私を連れてまいりました。先生は、あんなに有名な大家《たいか》なのに、それでも、私たちの家よりも、お小さいくらいのお家に住まわれて居られました。あれで、本当だと思います。でっぷり太って居られて、てこでも動かない感じで、あぐらをかいて、そうして眼鏡越しに、じろりと私を見る、あの大きい眼も、本当に孤高なお方の眼でございました。私は、あなたの画を、はじめて父の会社の寒い応接室で見た時と同じ様に、こまかく、からだが震えてなりませんでした。先生は、実に単純な事ばかり、ちっともこだわらずに、おっしゃいます。私を見て、おう、いい奥さんだ、お武家《ぶけ》そだちらしいぞ、と冗談をおっしゃったら、あなたは真面目《まじめ》に、はあ、これの母が士族でして、などといかにも誇らしげに申しますので、私は冷汗を流しました。母が、なんで士族なものですか。父も、母も、ねっからの平民でございます。そのうちに、あなたは、人におだてられて、これの母は華族でして、等とおっしゃるようになるのではないでしょうか。そら恐しい事でございます。先生ほどのおかたでも、あなたの全部のいんちきを見破る事が出来ないとは、
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