よくやつてくれ。」まことに悲壮な光景になつて来た。
 けれども、美しく高ぶつた処女の残忍性には限りが無い。ほとんどそれは、悪魔に似てゐる。平然と立ち上つて、狸の火傷にれいの唐辛子《たうがらし》をねつたものをこつてりと塗る。狸はたちまち七転八倒して、
「ううむ、何ともない。この薬は、たしかに効く。わああ、ひどい。水をくれ。ここはどこだ。地獄か。かんにんしてくれ。おれは地獄へ落ちる覚えは無えんだ。おれは狸汁にされるのがいやだつたから、それで婆さんをやつつけたんだ。おれに、とがは無えのだ。おれは生れて三十何年間、色が黒いばつかりに、女にいちども、もてやしなかつたんだ。それから、おれは、食慾が、ああ、そのために、おれはどんなにきまりの悪い思ひをして来たか。誰も知りやしないのだ。おれは孤独だ。おれは善人だ。眼鼻立ちは悪くないと思ふんだ。」と苦しみのあまり哀れな譫言を口走り、やがてぐつたり失神の有様となる。

 しかし、狸の不幸は、まだ終らぬ。作者の私でさへ、書きながら溜息が出るくらゐだ。おそらく、日本の歴史に於いても、これほど不振の後半生を送つた者は、あまり例が無いやうに思はれる。狸汁の運命から
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