思はれる。私の家の五歳の娘は、器量も父に似て頗るまづいが、頭脳もまた不幸にも父に似て、へんなところがあるやうだ。私が防空壕の中で、このカチカチ山の絵本を読んでやつたら、
「狸さん、可哀想ね。」
 と意外な事を口走つた。もつとも、この娘の「可哀想」は、このごろの彼女の一つ覚えで、何を見ても「可哀想」を連発し、以て子に甘い母の称讃を得ようといふ下心が露骨に見え透いてゐるのであるから、格別おどろくには当らない。或いは、この子は、父に連れられて近所の井の頭動物園に行つた時、檻の中を絶えずチヨコチヨコ歩きまはつてゐる狸の一群を眺め、愛すべき動物であると思ひ込み、それゆゑ、このカチカチ山の物語に於いても、理由の如何を問はず、狸に贔屓してゐたのかも知れない。いづれにしても、わが家の小さい同情者の言は、あまりあてにならない。思想の根拠が、薄弱である。同情の理由が、朦朧としてゐる。どだい、何も、問題にする価値が無い。しかし私は、その娘の無責任きはまる放言を聞いて、或る暗示を与へられた。この子は、何も知らずにただ、このごろ覚えた言葉を出鱈目に呟いただけの事であるが、しかし、父はその言葉に依つて、なるほど、
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