めるであらうし、ほとんどかの西遊記の悟空、八戒、悟浄の如きもののやうに書くかも知れない。しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかからうとして、突然、ひどく物憂い気持に襲はれたのである。せめて、桃太郎の物語一つだけは、このままの単純な形で残して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌ひ継がれて来た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があつたつて、かまはぬ。この詩の平明闊達の気分を、いまさら、いぢくり廻すのは、日本に対してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
 さうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけで一応、この「お伽草紙」を結びたいと思ひ直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いづれも「日本一」の登場は無いので、私の責任も軽く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言ふ事になると、かりそ
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