「ところで、とは大きく出たぢやないか。ところであの山は、雪が降つてゐるのではないのです。あれは真珠の山です。」
「真珠?」と浦島は驚き、「いや、嘘だらう。たとひ真珠を十万粒二十万粒積み重ねたつて、あれくらゐの高い山にはなるまい。」
「十万粒、二十万粒とは、ケチな勘定の仕方だ。竜宮では真珠を一粒二粒なんて、そんなこまかい算へ方はしませんよ。一山《ひとやま》、二山《ふたやま》、とやるね。一山は約三百億粒だとかいふ話だが、誰もそれをいちいち算へた事も無い。それを約百万|山《やま》くらゐ積み重ねると、まづざつとあれくらゐの峰が出来る。真珠の捨場には困つてゐるんだ。もとをただせば、さかなの糞だからね。」
 とかくして竜宮の正門に着く。案外に小さい。真珠の山の裾に蛍光を発してちよこんと立つてゐる。浦島は亀の甲羅から降りて、亀に案内をせられ、小腰をかがめてその正門をくぐる。あたりは薄明である。さうして森閑としてゐる。
「静かだね。おそろしいくらゐだ。地獄ぢやあるまいね。」
「しつかりしてくれ、若旦那。」と亀は鰭でもつて浦島の背中を叩き、「王宮といふものは皆このやうに静かなものだよ。丹後の浜の大漁踊りみたいな馬鹿騒ぎを年中やつてゐるのが竜宮だなんて陳腐な空想をしてゐたんぢやねえのか。あはれなものだ。簡素幽邃といふのが、あなたたちの風流の極致だらうぢやないか。地獄とは、あさましい。馴れてくると、この薄暗いのが、何とも言へずやはらかく心を休めてくれる。足許に気をつけて下さいよ。滑つてころんだりしては醜態だ。あれ、あなたはまだ草履をはいてゐるね。脱ぎなさいよ、失礼な。」
 浦島は赤面して草履を脱いだ。はだしで歩くと、足の裏がいやにぬらぬらする。
「何だこの道は。気持が悪い。」
「道ぢやない。ここは廊下ですよ。あなたは、もう竜宮城へはひつてゐるのです。」
「さうかね。」と驚いてあたりを見廻したが、壁も柱も何も無い。薄闇が、ただ漾々と身辺に動いてゐる。
「竜宮には雨も降らなければ、雪も降りません。」と亀はへんに慈愛深げな口調で教へる。「だから、陸上の家のやうにあんな窮屈な屋根や壁を作る必要は無いのです。」
「でも、門には屋根があつたぢやないか。」
「あれは、目じるしです。門だけではなく、乙姫のお部屋にも、屋根や壁はあります。しかし、それもまた乙姫の尊厳を維持するために作られたもので、雨露
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