於いてをや。どうせ世捨人同然のひとなのだから、自分の言ふ事が他人にわかつたつて、わからなくたつてどうだつていいやうなものかも知れないが、定職にも就かず、読書はしても別段その知識でもつて著述などしようとする気配も見えず、さうして結婚後十数年経過してゐるのに一人の子供もまうけず、さうして、その上、日常の会話に於いてさへ、はつきり言ふ手数を省いて、後半を口の中でむにやむにや言つてすますとは、その骨惜しみと言はうか何と言はうか、とにかくその消極性は言語に絶するものがあるやうに思はれる。
「早く出して下さいよ。ほら、襦袢の襟なんか、油光りしてゐるぢやありませんか。」
「この次。」やはり半分は口の中で、ぼそりと言ふ。
「え? 何ですつて? わかるやうに言つて下さい。」
「この次。」と頬杖をついたまま、にこりともせずお婆さんの顔を、まじまじと見つめながら、こんどはやや明瞭に言ふ。「けふは寒い。」
「もう冬ですもの。けふだけぢやなく、あしたもあさつても寒いにきまつてゐます。」と子供を叱るやうな口調で言ひ、「そんな工合ひに家の中で、じつと炉傍に坐つてゐる人と、井戸端へ出て洗濯してゐる人と、どつちが寒いか知つてゐますか。」
「わからない。」と幽かに笑つて答へる。「お前の井戸端は習慣になつてゐるから。」
「冗談ぢやありません。」とお婆さんは顔をしかめて、「私だつて何も、洗濯をしに、この世に生れて来たわけぢやないんですよ。」
「さうかい。」と言つて、すましてゐる。
「さあ、早く脱いで寄こして下さいよ。代りの下着類はいつさいその押入の中にはひつてゐますから。」
「風邪をひく。」
「ぢやあ、よござんす。」いまいましさうに言ひ切つてお婆さんは退却する。
ここは東北の仙台郊外、愛宕山の麓、広瀬川の急流に臨んだ大竹藪の中である。仙台地方には昔から、雀が多かつたのか、仙台笹とかいふ紋所には、雀が二羽図案化されてゐるし、また、芝居の先代萩には雀が千両役者以上の重要な役として登場するのは誰しもご存じの事と思ふ。また、昨年、私が仙台地方を旅行した時にも、その土地の一友人から仙台地方の古い童謡として次のやうな歌を紹介せられた。
[#ここから2字下げ、ゴシック体]
カゴメ カゴメ
カゴノナカノ スズメ
イツ イツ デハル
[#ここで字下げ終わり]
この歌は、しかし、仙台地方に限らず、日本全国の子供の遊び歌に
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