ではないか。弁慶にも泣きどころがあつたといふし、とにかく、完璧の絶対の強者は、どうも物語には向かない。それに私は、自身が非力のせゐか、弱者の心理にはいささか通じてゐるつもりだが、どうも、強者の心理は、あまりつまびらかに知つてゐない。殊にも、誰にも絶対に負けぬ完璧の強者なんてのには、いま迄いちども逢つた事が無いし、また噂にさへ聞いた事が無い。私は多少でも自分で実際に経験した事で無ければ、一行も一字も書けない甚だ空想が貧弱の物語作家である。それで、この桃太郎物語を書くに当つても、そんな見た事も無い絶対不敗の豪傑を登場させるのは何としても不可能なのである。やはり、私の桃太郎は、小さい時から泣虫で、からだが弱くて、はにかみ屋で、さつぱり駄目な男だつたのだが、人の心情を破壊し、永遠の絶望と戦慄と怨嗟の地獄にたたき込む悪辣無類にして醜怪の妖鬼たちに接して、われ非力なりと雖もいまは黙視し得ずと敢然立つて、黍団子を腰に、かの妖鬼たちの巣窟に向つて発足する、とでもいふやうな事になりさうである。またあの、犬、猿、雉の三匹の家来も、決して模範的な助力者ではなく、それぞれに困つた癖があつて、たまには喧嘩もはじめるであらうし、ほとんどかの西遊記の悟空、八戒、悟浄の如きもののやうに書くかも知れない。しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかからうとして、突然、ひどく物憂い気持に襲はれたのである。せめて、桃太郎の物語一つだけは、このままの単純な形で残して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌ひ継がれて来た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があつたつて、かまはぬ。この詩の平明闊達の気分を、いまさら、いぢくり廻すのは、日本に対してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
さうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけで一応、この「お伽草紙」を結びたいと思ひ直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いづれも「日本一」の登場は無いので、私の責任も軽く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言ふ事になると、かりそ
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