信じていました。どこから、そんなことを覚えたのでしょう。おしゃれの本能というものは、手本がなくても、おのずから発明するものかも知れません。
 ほとんど生れてはじめて都会らしい都会に足を踏みこむのでしたから、少年にとっては一世一代の凝《こ》った身なりであったわけです。興奮のあまり、その本州北端の一小都会に着いたとたんに、少年の言葉つきまで一変してしまっていたほどでした。かねて少年雑誌で習い覚えてあった東京弁を使いました。けれども宿に落ちつき、その宿の女中たちの言葉を聞くと、ここもやっぱり少年の生れ故郷と全く同じ、津軽弁でありましたので、少年はすこし拍子抜けがしました。生れ故郷と、その小都会とは、十里も離れていないのでした。
 中学校へはいってからは、校規のきびしい学校でしたので、おしゃれも仲々《なかなか》むずかしく、やけくそになって、ズボンの寝押しも怠り、靴も磨かず、胴乱《どうらん》をだらんとさげて、わざと猫背になって歩きました。そのときの猫背が癖になって、十五年のちの、いまになっても、なおりません。あのころは、おしゃれの暗黒時代と言えましょう。
 その小都会から更に十里はなれた或る城下
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