まちの高等学校にはいってからは、少年のお洒落も、のびのびと発展いたしました。発展しすぎて、やはり珍妙なものになりました。マントを三種類つくりました。一枚のマントは、海軍紺《ネビイブルウ》のセル地で、吊鐘《つりがね》マントでありました。引きずるほど、長く造らせました。少年もそのころは、背丈もひょろひょろ伸びて五尺七寸ちかくになっていましたので、そのマントは、悪魔の翼のようで、頗《すこぶ》る効果がありました。このマントを着るときには、帽子を被《かぶ》りませんでした。魔法使いに、白線ついた制帽は不似合いと思ったのかも知れません。「オペラの怪人」という綽名《あだな》を友人達から貰って、顔をしかめ、けれども内心まんざらでもないのでした。もう一枚のマントはプリンス・オヴ・ウエルスの、海軍将校としてのあの御姿を美しいと思って、あれをお手本にして造らせました。ところどころに少年の独創も加味されていました。第一に、襟です。大きい広い襟でした。どういうわけか広い襟を好んだようです。その襟には黒のビロオドを張りました。胸はダブルの、金ボタンを七つずつ、きっちり並べて附けました。ボタンの列の終ったところで、きゅっと細く胴を締めて、それから裾《すそ》が、ぱっとひらいて短く、そこのリズムが至極軽妙を必要とするので、洋服屋に三度も縫い直しを命じました。袖も細めに、袖口には、小さい金ボタンを四つずつ縦に並べて附けさせました。黒の、やや厚いラシャ地でした。これを冬の外套《がいとう》として用いました。この外套には、白線の制帽も似合って、まさしく英国の海軍将校のように見えるだろうと、すこし自信もあったようです。白のカシミヤの手袋を用い、厳寒の候には、白い絹のショオルをぐるぐる頸《くび》に巻きつけました。凍え死すとも、厚ぼったい毛糸の類は用いぬ覚悟の様でした。けれども、この外套は、友だちに笑われました。大きい襟を指さして、よだれかけみたいだね、失敗だね、大黒様《だいこくさま》みたいだね、と言って大笑いした友人がひとりあったのでした。また、やあ君か、おまわりさんかと思った、と他意なく驚く友人もありました。北方の海軍士官は、情無く思いました。やがて、その外套を止しました。さらに一枚、造りました。こんどは、黒のラシャ地を敬遠して、コバルト色のセル地を選び、それでもって再び海軍士官の外套を試みました。乾坤一擲《けんこんいってき》の意気でありました。襟は、ぐっと小さく、全体を更に細めに華奢《きゃしゃ》に、胴のくびれは痛いほど、きゅっと締めて、その外套を着るときには、少年はひそかにシャツを一枚脱がなければならなかったのでした。この外套に対しては、誰もなんとも言いませんでした。友人たちも笑わず、ただ、へんに真面目なよそよそしい顔になって、そうしてすぐ顔をそむけました。少年も、その輝くほどの外套を着ながら、流石《さすが》に孤独|寂寥《せきりょう》の感に堪えかね、泣きべそかいてしまいました。お洒落ではあっても、心は弱い少年だったのです。とうとうその苦心の外套をも廃止して、中学時代からのボロボロのマントを、頭からすっぽりかぶって、喫茶店へ葡萄酒《ぶどうしゅ》飲みに出かけたりするようになりました。
 喫茶店で、葡萄酒飲んでいるうちは、よかったのですが、そのうちに割烹《かっぽう》店へ、のこのこはいっていって芸者と一緒に、ごはんを食べることなど覚えたのです。少年は、それを別段、わるいこととも思いませんでした。粋な、やくざなふるまいは、つねに最も高尚な趣味であると信じていました。城下まちの、古い静かな割烹店へ、二度、三度、ごはんを食べに行っているうちに、少年のお洒落の本能はまたもむっくり頭をもたげ、こんどは、それこそ大変なことになりました。芝居で見た「め組の喧嘩《けんか》」の鳶《とび》の者の服装して、割烹店の奥庭に面したお座敷で大あぐらかき、おう、ねえさん、きょうはめっぽう、きれえじゃねえか、などと言ってみたく、ワクワクしながら、その服装の準備にとりかかりました。紺《こん》の腹掛。あれは、すぐ手にはいりました。あの腹掛のドンブリに、古風な財布をいれて、こう懐手《ふところで》して歩くと、いっぱしの、やくざに見えます。角帯も買いました。締め上げると、きゅっと鳴る博多の帯です。唐桟《とうざん》の単衣《ひとえ》を一まい呉服屋さんにたのんで、こしらえてもらいました。鳶の者だか、ばくち打ちだか、お店《たな》ものだか、わけのわからぬ服装になってしまいました。統一が無いのです。とにかく、芝居に出て来る人物の印象を与えるような服装だったら、少年はそれで満足なのでした。初夏のころで、少年は素足に麻裏|草履《ぞうり》をはきました。そこまでは、よかったのですが、ふと少年は妙なことを考えました。それは股引《ももひき》に
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