るという言葉がありますけれど、実感であります。それに、着物ばかりか、兵古帯も、下駄も借りなければ、いけなかったのです。そうして、恋人を欺《あざむ》くのです。どんなに落ちぶれても、ロマンスの世界にはいると、彼のお洒落の本能が、むっくり頭を持ち上げて、彼の痩せひからびた胸をワクワクさせる様であります。彼のような男は、七十歳になっても、八十歳になっても、やはり派手な格子縞《こうしじま》のハンチングなど、かぶりたがるのではないでしょうか。外面の瀟洒と典雅だけを現世の唯一の「いのち」として、ひそかに信仰しつづけるのではないでしょうか。昨年、彼が借衣までして恋人に逢いに行ったという、そのときの彼の自嘲の川柳《せんりゅう》を二つ三つ左記して、この恐るべきお洒落童子の、ほんのあらましの短い紹介文を結ぶことに致しましょう。落人《おちうど》の借衣すずしく似合いけり。この柄は、このごろ流行《はやり》と借衣言い。その袖を放せと借衣あわてけり。借衣すれば、人みな借衣に見ゆる哉《かな》。味わうと、あわれな狂句です。
底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月刊行
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年10月26日公開
2005年10月24日修正
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