の発情を察知していた。歩きながら囁《ささや》いた。
「ね、この道をまっすぐに歩いていって、三つ目のポストのところでキスしよう」
女は、からだを固くした。
一つ。女は、死にそうになった。
二つ。息ができなくなった。
三つ。大学生は、やはりどんどん歩いて行った。女は、そのあとを追って、死ぬよりほかはないわ、と呟いて、わが身が雑巾《ぞうきん》のように思われたそうである。
女は、私の友人の画家が使っていたモデル女である。花の衣服をするっと脱いだら、おまもり袋が首にぷらんとさがっていたっけ、とその友人の画家が苦笑していた。
また、こんな話も聞いた。
その男は、甚《はなは》だ身だしなみがよかった。鼻をかむのにさえ、両手の小指をつんとそらして行った。洗練されている、と人もおのれも許していた。その男が、或る微妙な罪名のもとに、牢へいれられた。牢へはいっても、身だしなみがよかった。男は、左肺を少し悪くしていた。
検事は、男を、病気も重いことだし、不起訴にしてやってもいいと思っていたらしい。男は、それを見抜いていた。一日、男を呼び出して、訊問《じんもん》した。検事は、机の上の医師の診断書に眼を落しながら、
「君は、肺がわるいのだね?」
男は、突然、咳《せき》にむせかえった。こんこんこん、と三つはげしく咳をしたが、これは、ほんとうの咳であった。けれども、それから更に、こん、こん、と二つ弱い咳をしたが、それは、あきらかに嘘の咳であった。身だしなみのよい男は、その咳をしすましてから、なよなよと首《こうべ》をあげた。
「ほんとうかね」能面に似た秀麗な検事の顔は、薄笑いしていた。
男は、五年の懲役《ちょうえき》を求刑されたよりも、みじめな思いをした。男の罪名は、結婚詐欺であった。不起訴ということになって、やがて出牢できたけれども、男は、そのときの検事の笑いを思うと、五年のちの今日《こんにち》でさえ、いても立っても居られません、と、やはり典雅に、なげいて見せた。男の名は、いまになっては、少し有名になってしまって、ここには、わざと明記しない。
弱く、あさましき人の世の姿を、冷く三つ列記したが、さて、そういう乃公《だいこう》自身は、どんなものであるか。これは、かの新人競作、幻燈のまちの、なでしこ、はまゆう、椿、などの、ちょいと、ちょいとの手招きと変らぬ早春コント集の一篇たるべ
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング