だ。槍を歩のように一つずつ進める。」
「井伏の小説は、決して攻めない。巻き込む。吸い込む。遠心力よりも求心力が強い。」
「井伏の小説は、泣かせない。読者が泣こうとすると、ふっと切る。」
「井伏の小説は、実に、逃げ足が早い。」
 また、或る人は、ご叮嚀《ていねい》にも、モンテーニュのエッセエの「古人の吝嗇《つましさ》に就いて」という章を私に見せて、これが井伏の小説の本質だなどと言った。すなわち、
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「アフリカに於ける羅馬《ローマ》軍の大将アッチリウス・レグルスは、カルタゴ人に打ち勝って光栄の真中にあったのに、本国に書を送って、全体で僅か七アルペントばかりにしかならぬ自分の地処の管理を頼んでおいた小作人が、農具を奪って遁走《とんそう》したことを訴え、且つ、妻子が困っているといけないから帰国してその始末を致したいと、暇《いとま》を乞うた。
 老いたるカトンは、サルジニア総督時代には、徒歩で巡視をした。お供と云えば唯国の役人を一人つれたきりで、いや最も屡々《しばしば》、自分で行李《こうり》を持って歩いた。彼は、一エキュ以上する着物を着たことがない、一日に一文以上市場に払っ
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