いシルクハットを得ることが、諸君の文明を得ることと心得違いをしていたのである。かかる様子ぶりは、実に哀れむべき嘆かわしいものであるが、ひざまずいて西洋文明に近づこうとする証拠となる。不幸にして、西洋の態度は東洋を理解するに都合が悪い。キリスト教の宣教師は与えるために行き、受けようとはしない。諸君の知識は、もし通りすがりの旅人のあてにならない話に基づくのでなければ、わが文学の貧弱な翻訳に基づいている。ラフカディオ・ハーンの義侠的《ぎきょうてき》ペン、または『インド生活の組織(一)』の著者のそれが、われわれみずからの感情の松明《たいまつ》をもって東洋の闇《やみ》を明るくすることはまれである。
私はこんなにあけすけに言って、たぶん茶道についての私自身の無知を表わすであろう。茶道の高雅な精神そのものは、人から期待せられていることだけ言うことを要求する。しかし私は立派な茶人のつもりで書いているのではない。新旧両世界の誤解によって、すでに非常な禍《わざわい》をこうむっているのであるから、お互いがよく了解することを助けるために、いささかなりとも貢献するに弁解の必要はない。二十世紀の初めに、もしロシ
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