たことは、これまで多くの博物館の害毒であった。
 同時代美術の要求は、人生の重要な計画において、いかなるものにもこれを無視することはできない。今日の美術は真にわれわれに属するものである、それはわれわれみずからの反映である。これを罵倒《ばとう》する時は、ただ自己を罵倒するのである。今の世に美術無し、というが、これが責めを負うべき者はたれぞ。古人に対しては、熱狂的に嘆賞するにもかかわらず、自己の可能性にはほとんど注意しないことは恥ずべきことである。世に認められようとして苦しむ美術家たち、冷たき軽侮の影に逡巡《しゅんじゅん》している疲れた人々よ! などというが、この自己本位の世の中に、われわれは彼らに対してどれほどの鼓舞激励を与えているか。過去がわれらの文化の貧弱を哀れむのも道理である。未来はわが美術の貧弱を笑うであろう。われわれは人生の美しい物を破壊することによって美術を破壊している。ねがわくは、ある大妖術者《だいようじゅつしゃ》が出現して、社会の幹から、天才の手に触れて始めて鳴り渡る弦をそなえた大琴を作らんことを祈る。
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     第六章 花

 春の東雲《しののめ》のふ
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