御殿には雪村《せっそん》の描いた有名な達磨《だるま》があったが、その御殿が、守りの侍の怠慢から火災にかかった。侍は万事を賭《と》して、この宝を救い出そうと決心して、燃える御殿に飛び入って、例の掛け物をつかんだ、が、見ればはや、火炎にさえぎられて、のがれる道はなかったのである。彼は、ただその絵のことのみを心にかけて、剣をもっておのが肉を切り開き、裂いた袖《そで》に雪村を包んで、大きく開いた傷口にこれを突っ込んだ。火事はついにしずまった。煙る余燼《よじん》の中に、半焼の死骸《しがい》があった。その中に、火の災いをこうむらないで、例の宝物は納まっていた。実に身の毛もよだつ物語であるが、これによって、信頼を受けた侍の忠節はもちろんのこと、わが国人がいかに傑作品を重んじるかということが説明される。
 しかしながら、美術の価値はただそれがわれわれに語る程度によるものであることを忘れてはならない。その言葉は、もしわれわれの同情が普遍的であったならば、普遍的なものであるかもしれない。が、われわれの限定せられた性質、代々相伝の本性はもちろんのこと、慣例、因襲の力は美術鑑賞力の範囲を制限するものである。わ
前へ 次へ
全102ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
村岡 博 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング