神の変化を絶えず必要とする考えを含んでいる。茶室はただ暫時美的感情を満足さすためにおかれる物を除いては、全く空虚である。何か特殊な美術品を臨時に持ち込む、そしてその他の物はすべて主調の美しさを増すように選択配合せられるのである。人はいろいろな音楽を同時に聞くことはできぬ、美しいものの真の理解はただある中心点に注意を集中することによってのみできるのであるから。かくのごとくわが茶室の装飾法は、現今西洋に行なわれている装飾法、すなわち屋内がしばしば博物館に変わっているような装飾法とは趣を異にしていることがわかるだろう。装飾の単純、装飾法のしばしば変化するのになれている日本人の目には、絵画、彫刻、骨董品《こっとうひん》のおびただしい陳列で永久的に満たされている西洋の屋内は、単に俗な富を誇示しているに過ぎない感を与える。一個の傑作品でも絶えずながめて楽しむには多大の鑑賞力を要する。してみれば欧米の家庭にしばしば見るような色彩形状の混沌《こんとん》たる間に毎日毎日生きている人たちの風雅な心はさぞかし際限もなく深いものであろう。
「数寄屋」はわが装飾法の他の方面を連想させる。日本の美術品が均斉を欠い
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