テン民族がチュートン民族とこれを異にすると同様である。古代交通が今日よりもなおいっそう困難であった時代、特に封建時代においては思想上のこの差異はことに著しいものであった。一方の美術、詩歌の表わす気分は他方のものと全く異なったものである。老子とその徒および揚子江畔自然詩人の先駆者|屈原《くつげん》の思想は、同時代北方作家の無趣味な道徳思想とは全く相容《あいい》れない一種の理想主義である。老子は西暦紀元前四世紀の人である。
 道教思想の萌芽《ほうが》は老※[#「耳+冉の4画目左右に突き出る」、第4水準2−85−11]《ろうたん》出現の遠い以前に見られる。シナ古代の記録、特に易経《えききょう》は老子の思想の先駆をなしている。しかし紀元前十二世紀、周朝《しゅうちょう》の確立とともに古代シナ文化は隆盛その極に達し、法律慣習が大いに重んぜられたために、個人的思想の発達は長い間阻止せられていた。周崩解して無数の独立国起こるにおよび、始めて自由思想がはなやかに咲き誇ることができた。老子|荘子《そうじ》は共に南方人で新派の大主唱者であった。一方孔子はその多くの門弟とともに古来の伝統を保守せんと志したもの
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