「くさかんむり/舛」、32−9]《せん》、※[#「木+賈」、第4水準2−15−63]《か》、茗《みょう》、というようないろいろな名前で書いてあって、疲労をいやし、精神をさわやかにし、意志を強くし、視力をととのえる効能があるために大いに重んぜられた。ただに内服薬として服用せられたのみならず、しばしばリューマチの痛みを軽減するために、煉薬《れんやく》として外用薬にも用いられた。道教徒は、不死の霊薬の重要な成分たることを主張した。仏教徒は、彼らが長時間の黙想中に、睡魔予防剤として広くこれを服用した。
 四五世紀のころには、揚子江《ようすこう》流域住民の愛好飲料となった。このころに至って始めて、現代用いている「茶」という表意文字が造られたのである。これは明らかに、古い「※[#「木+余」、32−15]《た》」の字の俗字であろう。南朝の詩人は「液体硬玉の泡沫《ほうまつ》」を熱烈に崇拝した跡が見えている。また帝王は、高官の者の勲功に対して上製の茶を贈与したものである。しかし、この時期における茶の飲み方はきわめて原始的なものであった。茶の葉を蒸して臼《うす》に入れてつき、団子として、米、薑《はじかみ》
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