無視することはできない。茶道の影響は貴人の優雅な閨房《けいぼう》にも、下賤《げせん》の者の住み家にも行き渡ってきた。わが田夫は花を生けることを知り、わが野人も山水を愛《め》でるに至った。俗に「あの男は茶気《ちゃき》がない」という。もし人が、わが身の上におこるまじめながらの滑稽《こっけい》を知らないならば。また浮世の悲劇にとんじゃくもなく、浮かれ気分で騒ぐ半可通《はんかつう》を「あまり茶気があり過ぎる」と言って非難する。
 よその目には、つまらぬことをこのように騒ぎ立てるのが、実に不思議に思われるかもしれぬ。一杯のお茶でなんという騒ぎだろうというであろうが、考えてみれば、煎《せん》ずるところ人間享楽の茶碗《ちゃわん》は、いかにも狭いものではないか、いかにも早く涙であふれるではないか、無辺を求むる渇《かわき》のとまらぬあまり、一息に飲みほされるではないか。してみれば、茶碗をいくらもてはやしたとてとがめだてには及ぶまい。人間はこれよりもまだまだ悪いことをした。酒の神バッカスを崇拝するのあまり、惜しげもなく奉納をし過ぎた。軍神マーズの血なまぐさい姿をさえも理想化した。してみれば、カメリヤの女皇に身をささげ、その祭壇から流れ出る暖かい同情の流れを、心ゆくばかり楽しんでもよいではないか。象牙色《ぞうげいろ》の磁器にもられた液体|琥珀《こはく》の中に、その道の心得ある人は、孔子《こうし》の心よき沈黙、老子《ろうし》の奇警、釈迦牟尼《しゃかむに》の天上の香にさえ触れることができる。
 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖《そで》の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的|殺戮《さつりく》を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう
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