思想を受け入れた。たぶん今日においてもこの「不完全」を真摯《しんし》に静観してこそ、東西相会して互いに慰めることができるであろう。
道教徒はいう、「無始」の始めにおいて「心」と「物」が決死の争闘をした。ついに大日輪|黄帝《こうてい》は闇《やみ》と地の邪神|祝融《しゅくゆう》に打ち勝った。その巨人は死苦のあまり頭を天涯《てんがい》に打ちつけ、硬玉の青天を粉砕した。星はその場所を失い、月は夜の寂寞《せきばく》たる天空をあてもなくさまようた。失望のあまり黄帝は、遠く広く天の修理者を求めた。捜し求めたかいはあって東方の海から女※[#「女+咼」、第3水準1−15−89]《じょか》という女皇、角《つの》をいただき竜尾《りゅうび》をそなえ、火の甲冑《かっちゅう》をまとって燦然《さんぜん》たる姿で現われた。その神は不思議な大釜《おおがま》に五色の虹《にじ》を焼き出し、シナの天を建て直した。しかしながら、また女※[#「女+咼」、第3水準1−15−89]は蒼天《そうてん》にある二個の小隙《しょうげき》を埋めることを忘れたと言われている。かくのごとくして愛の二元論が始まった。すなわち二個の霊は空間を流転してとどまることを知らず、ついに合して始めて完全な宇宙をなす。人はおのおの希望と平和の天空を新たに建て直さなければならぬ。
現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大《ばくだい》な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇《やみ》に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二|竜《りゅう》のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女※[#「女+咼」、第3水準1−15−89]《じょか》を必要とする。われわれは大権化《だいごんげ》の出現を待つ。まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟《しょうらい》はわが茶釜《ちゃがま》に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。
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第二章 茶の諸流
茶は芸術品であるから、その最もけだかい味を出すには名人を要する。茶にもいろいろある、絵画に傑作と駄作《ださく》と――概して後者――があると同様に。と言
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