らゐではすまない大きな蠱惑や侮辱が絶えず攻めよせて來る。時折は而かもほんとに癪に觸つて僕も一ばんその中で戰つてみせてやらうかと言ふ樣なむら氣が起る。しかしそれは僕等の生命が三つも四つもあつた時のことで、たつた一つしかない短い生命はそんな無意味なことに費してはならぬ。僕等は本當のものを掴まねばならぬ。すこしの妥協も拗氣もない眞摯に生きなければならぬ。眞に自分の滿足するものを創出せねばならぬ。そんな時に自然はいい僕等の指導者である。
 君の詩は、恰もその自然の一片として生きてゐる。君の詩には詩人の詩臭[#「詩臭」に傍点]ともいふべきものが無い。そして君ほど詩人の中で近づきやすく親しい感じをもつたものが何處にあるか。それは前の詩集に於いても今の詩集に於ても同じだ。君の前の詩集を難解だと云ひ、君が此の詩集にあつめたやうな詩に對して奇蹟的の轉回だと云ふものがあるが、僕にとつては前の詩と最近の詩と、そのあひだに少しの差違もない。ちがつたとすれば君が或は感覺に或は直觀に、到るところ君の體驗を燃燒せしめつつあるのを外面的に見たからだらう。僕等の弱いそして傷き易いこころは或る時は悲めるものの※[#「土へん+已」、119−中−22]れを歌ひ、或る時は惱めるものの自棄を誦する。併しながら其等はいづれも何等か我々のセンチメンタリズムに媚びてゐる。君の詩こそは自然のもつ健全にある。君の詩こそは創造者のもつ力にある。不斷、人間内奧のたましひ[#「たましひ」に傍点]のやしなひとなるものはまことに君の詩でなければならぬ。そしてそれは君の尊い人格の發現といふものだ。

 山村君
 君は此の詩集を人間におくるのだと言ふ。君の手は大きく且つ力強い。自由にまた大膽にその手をすべて人間の上に伸べたまへ。そして與へてやりたまへ。それは豫言者のみが獨り持つてゐる特權といふものだ。僕も亦君の詩によつてなぐさめられ勇氣づけられる一人であることを悦んでゐる。
 千九百十八年三月
[#地から5字上げ]京都にて
[#地から1字上げ]土田杏村



底本:「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」講談社
   1966(昭和41)年8月19日発行
※副題の「跋」は、青空文庫登録時に付けたものです。
※「※[#「土へん+已」、119−中−22]」(おそらく「やぶ(れ)」と読む)は、「※[#「土へん+巳」、第3水準1−15−36]」とは別字です。
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2009年4月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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