のだ。雑誌も東京から京都へ移る時、必要がないと思つて売り払つたものに今必要となつて一生懸命で集めてゐるものがあるので、今はたとへいらないと思つても成るべく捨てないやうにしてゐるのだ。
 この書物の整理が大変である。雑誌の整理などはみな妻がやつてくれる。私は何処にどの雑誌があるかさつぱり知らない。自分は趣味がどしどし変るから、今面白いと思つてやつてゐる仕事の本はよく整理するが、それよりも大変なのは、これらの書物を買ふ資力だ。よくも自分の力でこれだけ買へたものだと自分でも感心する時がある。妻にも始終叱られてゐる。昨日の勘定日にも妻が会計簿を持つて来て、今月の本代が二百三十円、こんな放蕩息子がゐたら早速放逐になるところですよといふのである。その外にまだ百円余の支払が出来ないで借りにして置いたのだから大変である。だから私が本を買ふ時の焦慮苦悶は大したものだ。買はうか買ふまいかと苦悶した結果、さて買はないことにきめた時の私の顔は世にも類例のない寂しいもののさうである。画集には二三百円のものが少なくない。『座右宝』位なら自分でも買つてゐるのだが、その二三百円のものを二三種、本屋が持つて来て置いて行つた時の興奮は大したものだ。眼の前にその本があるのだ。私はそれを書架へのせて見る。いややつぱり返さうとおろして了ふ。その間の苦心たるや、全くこれは困つた病気だ。
 私は着物などは何でもよいと思つてゐる。洋服は一揃ひだけ持つてゐるけれど、和服となると常着だけしかない。その洋服も近頃は大抵は着ずに冬も夏も一着のルパシュカだけ着てゐる。これは実に便利な着物だ。上からスポリとかぶるだけで世話はなく、冬はシャツを何枚も重ねればよい。この三四年間私はただこの一着のルパシュカを着てゐるのだ。帽子は鳥打の夏帽子一つ。これで三四年の夏と冬とを越した。何処の学校へも行かないから、おしやれなどの必要はない。苦学する大学生のやうな風体で自分は散歩をするのである。ただ思ふものは自分の研究だ。本だ。気の毒なのは自分の家族である。何処からか降つて来る金でもあればよいのだが、さてさうもならないものだ。



底本:「日本の名随筆 別巻6 書斎」作品社
   1991(平成3)年8月25日第1刷発行
   1998(平成10)年1月30日第7刷発行
底本の親本:「土田杏村全集 第一五巻」第一書房
   1936(昭和11)年4月
入力:ふろっぎぃ
校正:浅原庸子
2001年7月2日公開
2006年1月5日修正
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