これもうすもので、二の腕には匂い袋を忍ばせておる。
それから衣服はどれも裾長に着て、舳へ立っている女の姿に鑑みると、足は内わで、襟を厭味でない抜き衣紋にしている。
尤もこのぬき衣紋ということは、襟白粉をつけるからの起りで、京坂に始まって後、江戸にも及んだものだが、態とらしくないのはよいものだ。
で、この風俗は、江戸芸者にばかりではなく、一般に行われたことは、その頃の浮世絵なり、絵本草双紙の類に屡次《しばしば》見るところだ。
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見番と箱屋と継ぎ棹
芸者見番というものが江戸に出来たそもそもは、宝暦以後大黒屋秀民に始まり、その以前にはこれに類似のものすらなかった。
また箱屋のはじまりは、「江戸職人づくし」によると、突込髪にした婆が三味線箱を背負い、前帯に褄をはしょり、素足に下駄を突っかけて片手には小丸提灯、夜道を照らしつつ先立ちして歩いておる。
尤も、この時代には箱屋というのではなく、単にそうした傭女なり老母なりが送り迎えをしたに過ぎない。けれども、濫觴をたずぬればこれがそもそも箱屋の因みをなし、百年この方にいつとなく箱屋なるものが一つの生業として出来たの
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