たり、とんだ囈語《うわごと》を長々どうも失敬!
[#改ページ]
江戸芸者と踊子
今のシャに深川芸者の粋と意気地なく、素袷に素足の伊達は競わずもあれ、せめてその気分だけでも享けついで、も一度江戸趣味を東京に復興さして見たいのが吾儕の望み。されば好い加減に引込めと大向うから呶鳴られぬ前、長えは毒と一旦筆を擱きはしたが、這度《このたび》は古きを温《たず》ねて新しきを知る、チッとばかり昔のことを言わして頂くことにした。
――さて江戸芸者の濫觴は、宝暦年中、吉原の遊女扇屋歌扇というが、年あけ後に廓内で客の酒席に侍り、琴三味線を弾きもて酔興をたすけたに因みし、それより下っては明和安永の頃からである。当時の吉原細見に、「芸者何誰外へも出し申候」とあるのに見ても、それは明らかだ。
但し、これまでの名称は踊子とて、これは寛文頃京坂に始まり、江戸では天和貞享の頃からで、その時までは白拍子、遊女などに酒興を幇《たす》けさしていたのを、やがてその踊子を用ゆるに至った、それがつまり女芸者の起りだ。
勿論芸者なる呼び名は、必ずしもこの時に始まったのでもないが、そは男女いずれにも称えられたことで、
前へ
次へ
全90ページ中85ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
柴田 流星 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング