み、とうとう一文なしに掴みどりされて、気がついた時にはお預りの熊手一つ、お近い中にと親切そうに言われて、二の酉に裏をかえす連中、これでも慾の皮がつッ張っているのかと思うと可笑くておかしくてならない。
 されば酉の市は先様がとりの市、こっちはとられまちで、どの道金に縁の薄い江戸ッ児には、宵越しをさせたくもこの始末なので及びもつかぬこと、それでも一かどの福運を得る気で、眼前とられにゆくを甘んずるなどはとうてい江戸ッ児以外の人には馬鹿気切ってて嘘にも真似の出来たものではない。
 殊には熊手の腹に阿多福のシンボル、そもそも誰が思いついての売りはじめやら、勿体らしく店々の入口、さては神棚の一部に飾られたこれら江戸ッ児の象徴を見る時は、情ないよりは寧ろその稚気を愛すべきだ。
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 鍋焼饂飩と稲荷鮨



 霜夜の鐘の凍るばかりに音冴えて、都の巷に人影のいよいよ疎なる時、折々の按摩が流しの笛につれて、遠くより聞え来るもの、「鍋焼ァき饂飩※[#小書き片仮名ン、198−4]、え饂飩やァい――」と、「稲荷ァりさん、え、いなァりさん――」の声なるべし。
 もしそれこの合の手として犬の遠吠えを加
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