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 定斎と小使銭



 江戸ッ児に定斎と小使銭とはいつもないことに言われておるが、実際江戸ッ児は定斎と小使銭を持合せたことがない。
 定斎の持合せがないのは、それだけによくこの薬を常用するがためで、凡そ腹痛下痢はさらなり、頭痛、眩暈《めまい》、何ぞというと必ず定斎を用ゆる。
 彼の炎天に青貝入りの薬箱を担ぎ、抽斗《ひきだし》の鐶の歩むたびに鳴るを呼び売りのしるしとする定斎やは、今も佐竹の原にその担い方の練習をして年々に市中をまわるもの尠からず、昔時は照りつける中を笠一つ被らず、定斎の利目はかくても霍乱《かくらん》にならぬとてそれで通したものだが、今は蝙蝠傘に定斎と記されたをさして、担いゆく男に附添うたるが、「え、定斎でござい。え、定斎でござい」と戸毎に小腰を屈めてゆく、今でも御維新前の老人ある家では必ずこれを買いもとめて、絶やさぬようと家人に注意さしておく。
 この定斎、それほどに利くか利かぬかは姑《しばら》く問題の外として、かくも江戸ッ児に調法がられるこの持薬で、三百年来事欠かなんだ吾儕の祖先をおもうと、その健康、その体力、恐らくはかれら気で気を医し、むつかしく言えば所謂精神
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