もり。さりとは気安くもまた罪のないことどもではないか。
 さあれ如此《かくのごとく》にして江戸ッ児は祖先を敬し、如此にしてしかも決してその祖先を忘れぬ。振舞いの粗なるを嗤いたもうな、形式に流れたようなかかる振舞いにも、心ばかりは洵に真に祖先に対するの敬虔を有し、尻切袢纏の帯しめなおして窮屈そうに霊前にかしこまり、弥蔵を極めこむ両手を鯱張って膝の上におき、坊さんのお勤がすむまでは胡座《あぐら》にもならでモジモジしている殊勝さは、その心持ちだけでも買ってやっていいと思う。
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 灯籠流し



 川びらきの夜に始まりて、大川筋の夕涼み、夏の隅田川はまた一しきり船と人に賑わうをつねとする。
 疇昔《ちゅうせき》は簾かかげた屋形船に御守殿姿具しての夕涼み、江上の清風と身辺の美女と、飛仙を挟んで悠遊した蘇子の逸楽を、グッと砕いて世話でいったも多く、柳橋から枕橋、更には水神の杜あたりまでも流れを溯って、月に夜を更かし、帰るさは山谷堀から清元の北洲に誘られた玉菊灯籠の見物に赴くなど、それぞれの趣向に凝ったものだが、今は大川の涼みにも屋形船の影を見ること稀々で、名残は兵庫屋、河内屋などの船宿にその幾艘を有するのみ、歌麿の絵にある趣はまた見られずなったが、どうかしてこれらを再興したいものだと、一部の人々は折角そう思っておる。
 それにつけてもいとど嬉しいは八百松が灯籠流しを再興したことで、この催し、いつの頃よりか廃れて誰企つる者もなかったのを、先年隅田川の寂れとてこの催しを世におこし、大川筋に名物一つ加えたは何よりのことどもである。
 さてその灯籠というは、形を都鳥の水に浮寝せる姿とし、これに灯を入れて流れの上より下へ行くにまかせて放ちやるにて、岸の遠近、船よりも楼よりも眺めはいずれ趣深く、遠く遠く流れゆく灯影の小さくなるを送るほどの心、情景ともにかのうて忘機の三昧に入るを得べし。
 都の夏を懼れて暑を山海の地に避くる人々の、かえって喧噪と雑沓と没趣味とに苦しめられて、しかもそれらに対して高価な支払をなしたを嘆《かこ》つこと、吾儕の屡次《しばしば》耳にするところで、旁徒なる懼れに遠かれる都にも、夏にかかる逸楽のあるをお知らせしておきたい。
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 蒲焼と蜆汁



 土用に入っての夏の食いものに、鰻と蜆とは江戸ッ児の真先に計えあげる一つで、つづいては泥鰌、浅
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